奇跡? 今も現役で走る・乗れる「明治時代の電車!」 110年以上前のスタイルそのまんま!? 吊り掛けモーターにポール回し

日本の造船企業が活躍する鍵とは

「博物館明治村」では、明治期のSL列車のほかに、もうひとつの鉄道路線である「京都市電」を有しています。こちらも明治時代の製造という、超がつくほど貴重な車両が村内を往復しています。

「日本初の電車」が今も走る!

 かつて活躍していた鉄道車両の動く姿を、今なお見て、乗ることができる「動態保存」。その中でも鉄道黎明期の明治時代に生まれた車両は数が少なく、特に貴重な存在です。愛知県犬山市の「博物館明治村」は、154年前に日本初の鉄道路線として開業した新橋〜横浜間に投入された動態保存のSL列車に乗れることで有名ですが、もう一つ、明治期の「電車」も保存しています。

 明治村では「京都市電」と称する動態保存鉄道が別に走っています。その名の通り、実際に京都市交通局で使用されていた路面電車「N電」こと「狭軌1形電車」の2両が、今なお運行されているのです。

 狭軌1形電車は、日本で初めて電車による営業運転を行った京都電気鉄道(京電)が投入した車両を祖とします。同鉄道は京都駅付近と伏見の約6.4kmを結ぶ伏見線を1895(明治28)年2月に開業したのを皮切りに、同年4月には市内の岡崎地区で開催された「第4回内国勧業博覧会」に合わせて路線を延伸するなど、次第に規模を拡大していきました。

 ところが1912(明治45)年5月、京都市交通局の前身である京都市電気軌道事務所が烏丸線、千本・大宮線、四条線、丸太町線の4路線7.7kmを開業します。一部区間で京電との重複区間が存在したことや、京電が経営不振の状態だったこともあり1918(大正7)年に京都市が京電を買収。約21kmの路線網と133両の電車すべてが京都市に移管しました。

「N電」のNは「狭い」のN

 京都市電のレール幅が1435mm(標準軌)なのに対し京電は狭軌の1067mmだったため、京電の車両は「狭軌1形電車」と名付けられました。京都市電由来の車両と区別するため車体番号の頭に「Narrow=狭い」を意味する「N」を与えたため、「N電」として親しまれました。

 なお京都市電の電車も「1型」だったので、こちらは「広軌1形電車」と呼ばれました。戦後、1955(昭和30)年には、N電からNの付与をなくすとともに、残存していた28両に改番が行われています。

 京都市に買収された後は、重複区間の整理や旧京電路線の標準軌化が進み、やがて1067mmの路線は堀川線(北野線とも呼ばれていた)のみとなりました。しかしその堀川線も1961(昭和36)年8月に廃止。この時22両が残っていたN電も、全車が同時に引退を迎えました。

明治村の京都市電は「N電」

 明治村で走る2両の電車は、そのN電の生き残りです。京都市電時代の番号はN58とN115(番号変更後はそれぞれ8と15)で、1910(明治43)年から1911(明治44)年に梅鉢鉄工所で製造されました。明治村に譲渡後はNo.1とNo.2に改番され、1967(昭和42)年3月から運行をスタートしています。

 京都市電時代に前面へ風雨よけの窓(ベスチビュール)と方向幕が設置されましたが、明治村入りに際し、製造時の開放型デッキに復元。カラーリングも緑の濃淡塗装から明治時代のクラシックな配色に変更されています。そのため「京都市電」とされているものの、実際には「京電仕様」のスタイルを持ちます。

 なお京電では開業当初、車体側面の窓が7枚の小さな車両を導入しましたが、のちに増備した車両は大型車体に変更。窓が9枚なので見分けがつきました。明治村の2両は窓が9枚のタイプですが、基本的な設計や外観は開業時の車両と同じですので、明治時代製造の古典的な電車の姿をしっかり残しているのです。

開業時は「先走りの少年」がいてね…!

 では実際にN電に乗ってみることにしましょう。京都市電は、SL名古屋駅から徒歩数分に位置する「市電 名古屋駅」から、明治村の中心部といえる「2丁目」にある中間駅「市電 京都七条駅」を経て、明治村の南東部「3丁目」に位置する「市電 品川燈台駅」までの約800mを走っています。

 SL名古屋駅を降りて坂を徒歩で下ると、京都市電の始発駅となる市電 名古屋駅が見えてきます。駅と称していますがプラットホームは見られず、敷石と小さな建屋があるのみです。

 乗務員は運転手と車掌の2名。発車時刻を迎えると、車掌は「チンチン」と鐘を鳴らします。すると運転手が足踏み式の鐘で「カンカン」と応えて出発です。電車が走る速度は約10km/hとゆっくりですが、加速時にはしっかりと吊り掛けモーターのサウンドが楽しめます。

 路面電車ではありますが、線路は村の左端の木々の中に敷かれています。風景が開けると、間も無く市電 京都七条駅に到着。しかしここでは降りず、終点の市電 品川燈台駅に向かいます。

 発車すると間も無く、車窓の右側に「入鹿(いるか)池」が広がります。車内では観光ガイドも兼任する車掌が入鹿池の歴史を話してくれるのですが、それによると入鹿池はなんと江戸時代初期、1600年代に造られた人工の溜池とのこと。

 これ以外にも車掌は、開業後には市街地などで通行人に危険を知らせるため電車の前を走り注意を促す告知人の「先走り」がいたこと、その仕事は少年が務めたこと、しかし重労働で危険なために1904(明治37)年に廃止されたこと、告知人廃止後は人をすくいあげる救助網が車両の前後に設けられたことなどを、巧みな話術で教えてくれました。

当時さながらの「ポール回し」は必見!

 市電 品川燈台駅に着くと、運転手は屋根上の集電用の「トロリーポール」を180度反対向きに旋回します。これはいわゆる「ポール回し」と呼ばれる作業です。トロリーポールは進行方向に対して車体の後部に向けねばならないため、終点では必ずトロリーポールの付け替えを行う必要があります。

 なおトロリーポールは架線への追従性が悪く高速走行に向いていないため、「ビューゲル」や「パンタグラフ」に発展。日本の鉄道では、明治村や一部に残存したトロリーバスを除いて昭和50年代頃までに姿を消しています。

 2026年現在ではトロリーバスの運行も終了しており、トロリーポールで集電を行う鉄道車両は明治村の京都市電のみとなりました(ただし明治村の鉄道は、厳密には鉄道事業法が定める鉄道事業には該当せず、村内の体験アトラクションという扱い)。

 ちなみに京都府内の「梅小路公園」にも、狭軌1形電車27号が1994年から動態保存されています。しかしこちらは2014年に動力源を架線集電からリチウムイオンバッテリーに変更しているため、現在は架線も張られておらず、トロリーポールからの集電もしていません。ただしポール回しの作業は折り返すたびに行っているようです。

 市電 品川燈台で折り返す電車にそのまま乗り、市電 京都七条で下車。2丁目のレンガ通り沿いに立ち並ぶ役所、銀行、小学校、医院、派出所や、1丁目に建つ旧三重県庁舎、昭憲皇太后御料車(5号御料車)などを保存する「鉄道局新橋工場」などを見学しました。

 そして市電 京都七条駅から市電 名古屋駅に戻り、ここでもポール回しを見てSL 名古屋駅から帰宅の途につきました。

SLと並ぶ、一線級の産業遺産

 京都市電の1回乗車あたりの運賃は大人500円・小人300円ですが、「SL・市電一日乗車券」を購入すれば大人1000円・小人700円で市電のみならずSLも一日乗り放題となります。SLの運賃は1回あたり大人700円・小人500円のため、SL・京都市電をそれぞれ1区間ずつ乗るだけで元が取れます。

 SL列車は主に土日祝で運行されますが、京都市電は基本的に毎日走っているようです。運行時間は朝10時台〜16時台で、おおむね35分おきです。閉村時間が16時に早まる冬季では終電時刻も早まり、また休村日、車両都合・天候などにより運行されない場合もあるので、運行情報や時刻については事前に公式HPを確認してください。

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 SL列車の「ねじ式連結器の連結作業」と同じように、明治時代さながらの「架線集電を行う電車のポール回し」が見られるのも、明治村ならではの貴重なシーンです。SL列車に注目が集まりがちですが、明治時代に製造された2軸オープンデッキの路面電車というだけでも一線級の産業遺産です。しかもそれがひっきりなしに行き交う明治村の京都市電もとても価値が高い保存鉄道といえます。