1980年代の英国で、空港から宇宙を目指すスペースプレーン「HOTOL」が構想されました。夢の機体はなぜ実現しなかったのか、博物館の模型からその野望と挫折に迫ります。
滑走路から宇宙へ向かう「飛行機のような宇宙船」
空港の滑走路を加速して離陸し、そのまま大気圏を抜けて宇宙へ。人工衛星を軌道に送り届けた後は地球へ帰還し、再び滑走路へ着陸する――。そんなSFのような運航を本気で目指した機体が、1980年代のイギリスで構想されました。「HOTOL(ホトル)」と名付けられた、飛行機のような宇宙船です。
イギリスのブルックランズ博物館には、そのHOTOLの模型が展示されています。長く尖った機首に小さな前翼、そして白い胴体には、同国の大手航空会社「ブリティッシュ・エアウェイズ」の名前が描かれており、もし空港に駐機していたら、未来の旅客機かと見間違えてしまいそうな姿です。
HOTOLという名前は「Horizontal Take-Off and Landing(水平離着陸)」の略。その名の通り、宇宙へ向かう乗りものでありながら、ロケットのように発射台から垂直に打ち上げるのではなく、航空機と同じように滑走路を使って離着陸する計画でした。
未来の旅客機を思わせる外観ですが、HOTOLが目指したのは、あくまで無人の宇宙輸送機です。全長62mの機体で、高度300kmの地球周回軌道へ7~8トンの貨物を届けるという壮大な構想でした。
翼を持つ宇宙船といえば、アメリカのスペースシャトルが有名です。しかし、スペースシャトルが滑走路を使うのは帰還時のみ。打ち上げは専用の発射台から、巨大な外部燃料タンクと2本の固体ロケットブースターを使って垂直に行われていました。再利用による低コスト化を目指したシャトルでしたが、維持管理の費用や安全性が課題となり、2011年に全機が退役しています。
HOTOLが目指したのは、離陸から着陸までの全てのプロセスを航空機に近づけることでした。帰還した機体を整備し、再び貨物を載せて宇宙へ出発させる。宇宙輸送のあり方を根本から変え、費用を劇的に抑えようという野心的な挑戦だったのです。
鍵は“空気を吸う”ロケットエンジン
滑走路からの離陸という当時としては画期的なアイデアを実現するカギは、特殊なエンジンにありました。計画を進めたのは、航空機メーカーのブリティッシュ・エアロスペースと、エンジンメーカーのロールス・ロイスです。翼の設計には、超音速旅客機「コンコルド」で培った技術も取り入れられていました。
通常のロケットは、酸素のない宇宙空間でエンジンを燃焼させるため、燃料だけでなく酸化剤(液体酸素など)も大量に搭載して打ち上げられます。しかしHOTOLは、飛行する高度や速度に応じてエンジンの仕組みを切り替えるという、全く新しい構想を採用しました。
具体的には、大気圏内を飛行している間は、空気中に含まれる酸素を取り込んで燃料の燃焼に利用します。そして高度約26km、速度がマッハ約5に達したところで、機内に搭載した液体酸素を使うロケットエンジンへと切り替える計画でした。大気中の酸素を最大限活用することで、打ち上げ時に搭載する酸化剤の量を大幅に減らす狙いがあったのです。
この革新的なエンジンの名は「RB545」、通称「スワロー」。高速飛行で超高温になる吸入空気を、燃料である液体水素を使って冷却し、圧縮したうえで燃焼に使うという複雑な仕組みで、開発は機密扱いで進められました。まさにHOTOL計画の心臓部といえる技術でした。
夢を阻んだ「巨額すぎる開発費」の壁
しかし、この前例のない推進システムと、それを搭載する機体を開発するには、巨額の資金が必要でした。1988年時点の見積もりでは、HOTOLの開発に約45億ポンドが必要とされました。これは当時の為替レートで、日本円にして約1兆260億円にものぼります。
この金額がどれほど大きいか、同じ1980年代に開発が始まり、のちに世界的ベストセラーとなる旅客機「エアバスA320」と比較すると分かりやすいでしょう。A320の開発費は1984年時点の見積もりで約18億ポンド。HOTOLの開発費は、その約2.5倍にも達したのです。
しかも、航空会社への販売が見込める旅客機と違い、HOTOLのような特殊な宇宙輸送機は、必要とされる機数も限られます。1988年7月、イギリス政府は「実用化に必要な資金を一国で負担するには大きすぎる」として、HOTOL計画への追加支援を行わない方針を決定。国際協力が不可欠だと結論づけました。
その後も企業側で派生案の検討は続けられたものの、HOTOLが実用化されることはありませんでした。「空港から宇宙へ」という魅力的なアイデアは、いまなお世界中で研究されていますが、HOTOLのように単一の機体で滑走路から宇宙へ到達し帰還する方式は、未だ実現していません。
日常の輸送手段となるには、ただ宇宙へ行けるだけでは不十分です。繰り返し使える安全性、そして開発や運航にかかる莫大な費用に見合うだけの仕事があるかどうかが問われます。航空会社の名前をまとった博物館の模型は、宇宙への大きな期待と、現実の厳しさの両方を静かに物語っているようです。