三重県出身・不屈の発明家であり企業家の軌跡【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.2】

コンビニやスーパーに無人レジの導入が進むなど、技術進歩は加速していますが、今回は明治・大正期に活躍した発明家、三重県鈴鹿郡石薬師村出身の天野修一さんをご紹介します。

1890年に三重県鈴鹿郡石薬師村で生まれた天野さんは、1911年23才の時、初めての特許「A式綴紙器」を発明しました。 これは前年の日本初のホッチキス発明者垣内清八による「自動紙綴器」に次ぐ発明でした。(※1)

1931年に日本初の電気式時刻記録機(タイムレコーダー)と気象用計器の製造を目的として東京・蒲田に天野製作所を創立、翌年には商工省より国産品推奨・輸入防止の国策に合致するとしてタイムレコーダー製作を奨励され、1935年には国産奨励精密機械器具展覧会にタイムレコーダーを出品しました。

この間開発したものは
・時刻記録機(タイムレコーダー)
・2色リボン付時刻記録機
・時報装置付タイムレコーダー
・雷道計

など

戦中になると1942年に海軍管理工場に指定され、本社を横浜に移転しました。そこで発明した時間印字機はワーレンモーターを利用した電気で作動する方式の最初の電気式タイムレコーダーで、軍事色強まる国内で重宝されたといいます。しかし、1945年の敗戦にて工場は閉鎖、1949年の企業再建整備法で天野製作所は解散となります。

しかし天野さんはタイムレコーダー事業を諦めず、すぐに横浜機器株式会社創立し、翌年から国鉄にタイムレコーダー納入をはじめました。その後も開発を続け、リクレス(ドレーン分離器)、アマーク(稼動時間計)、タイムレコーダーNRなどを製造し、1959年のアマノタイムスタンプSB型は毎日工業デザイン賞入選するなど復活を果たします。

1964年にはニューヨークに現地法人アマノ・タイムシステムズ(ATS)社を設立し世界進出へ舵を切りました。「タイムレコーダーといえばアマノ」と、その名がブランド化したため、社名を1966年にアマノ株式会社に変更しました。これは国際的に通用する社名としてブランドと社名をひとつにするため、また、また海外ではアルファベットの頭文字『A』で始まる言葉が喜ばれるということが理由だったといいます。

その後、タイム情報システム事業の元となる新商品アレコデータをはじめ、1980年には世界初のマイコン搭載時間集計タイムレコーダー(インテレコーダーIR9000シリーズ)の発表をするなど、インテリジェントタイムレコーダーの幕明けの先陣を切りました。

こうした業績を称えられ、1959年には紫綬褒章受賞、1961年には横浜文化賞受賞、1965年には勲三等瑞宝章と多くの栄誉を与えられました。晩年は、私財を投じて財団法人『天野工業技術研究所』を設立。 著書に、’63自伝『鈍根運』がります。享年86歳で、戒名は金剛院殿修学徹心大居士となります。

 

※1 ホッチキスの歴史は、機関銃を発明したベンジャミン・B・ホッチキスがマシンガンの弾送り機構にヒントを得てホッチキスの針送り装置を考案したのがはじまりで、弟のエーライ・H・ホッチキスがE・H・ホッチキス社を興しました。 「自動紙綴器」はかなり大型ですが、「A式綴紙器」はホッチキス社製のものに近い発明であったといいます。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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