佐賀が産んだ名経営者:江崎利一

江崎利一氏は明治15年、佐賀県生れ。(撮影当時92歳、江崎グリコの現役会長)

前年晩秋までは社長だった。それまでも幾度か引退決定をしたが、その度に不慮の難にあい果たせなかった。
だが80歳の頃に内臓器官は40歳代だと医師が証明したほどに健康な氏は、いつまでも社長業が勤まりそうだ。

「私は世に言う「40の厄年」に九州佐賀から大阪へ出て来た中年転換者でしてね。それが、田舎を食いつめて逃げ出したということではないんです。家業の薬種業(主に漢方薬)と、自分で考え出したビン詰葡萄酒販売業とで、1年のうち8ヵ月だけ忙しく働けば、あとの4ヵ月は釣りに凝ったりしていても、確実に1万5、6千円は残る商売をしていたんです。大正9年頃ですから、佐賀の個人商店で一番儲かっていた何々呉服店でも年に1万3千円でした。それをやめてひと思いで大阪に出て来たのが大正10年の春でした」

「いかに儲かっても、ただ儲かるだけのことでね、根無し草、浮き草商売です。商売はもっと骨が折れ、もっと工夫がいり、もっと苦心しなければならない筈だと思ったんです。……私は14の歳から父の薬屋を手伝い、朝の塩売り、薬の行商、登記代書業をビール箱の代用机でやり、かたわら、中学の講義録、商売に欠かせない販売、宣伝広告、薬業などを独学でやっていたんです。……大正8年3月、有明海の干牡蠣作りの大釜の中からグリコーゲンを見つけ出したのは、商売実践と勉学があったからなんです。商売のチャンスとかヒントはいつも路上にころがっているものです。たいがいは、見過ごしているんですな。……商品を売る人は物を売って利益を得るが、買う人もまたそれだけのネウチのものを買って得をする。自然値上がりの不労所得は決してすべきではない。……14で塩売りをした時から私のこの考え方は変わっていません」

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