本気で“台風と戦う”ために爆撃機や艦載機が出動!? アメリカが挑んだ「ハリケーン改造計画」とは

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台風やハリケーンをコントロールしたい、これは長距離を狙える砲や航空機の発展によって可能性が考えられてきましたが、実際にアメリカ軍ではそれを試みたことがあります。

爆撃機からハリケーンへドライアイスを投下

 台風や集中豪雨によって建物が壊され、市街地が水に浸かる光景を見るたび、「気象そのものを制御し、被害を抑えられないか」と考えたことがある人もいるかもしれません。現在、台風の勢力や進路を自在に変える技術は実現していませんが、アメリカでは過去に軍を動員して実際に試みたときがあります。

 台風とハリケーンは、発生した海域などによって呼び方が異なるものの、基本的には同じ種類の熱帯低気圧です。アメリカでもハリケーンはたびたび大きな被害をもたらしており、その勢力を制御できれば被害を軽減できると考えられました。

 1947年に行われた「プロジェクト・シーラス」は、アメリカ軍と電機メーカーのゼネラル・エレクトリック(GE)などによる気象改変研究の一環です。その作戦はアメリカ空軍のB-17爆撃機が、ハリケーンに接近し、砕いたドライアイスをその外周部の雲へ投下するというものでした。

 ドライアイスには、雲の中にある、氷点下でも凍っていない水滴を氷の粒に変える働きがあります。つまり、ハリケーンを構成する雲の一部で人工的に氷を作り、雲の発達や雨の降り方を変えようとしたのです。この実験は、同年10月13日、フロリダ州ジャクソンビルの東方約667kmにあったハリケーンへ接近して本当に実施されました。

 実験では2回に分けて合計約180ポンド(約82kg)の砕いたドライアイスが散布されました。しかし、その後に、沖合を進んでいたハリケーンは大きく進路を変え、ジョージア州サバンナ付近へ上陸。このため、実験が進路を変えたのではないかと批判を受けることになります。

 実際、ハリケーンの被害を受けた住民の間から訴訟を起こす動きまでありました。幸い、その後の調査では、実験のドライアイスの散布と進路変更の因果関係は確認されず、実際に裁判が行なわれることもありませんでした。

 結局この1回のみで実験は終了。本件は気象改変実験の難しさと、それに対する社会的な反発の大きさを印象づける結果となりました。

核兵器も運べる攻撃機で「眼の壁」に薬剤投下

 しかし、その後もハリケーンを弱める研究は継続されました。そして、1961年の予備実験を経て、翌1962年に正式に始まった「プロジェクト・ストームフューリー」では、アメリカ海軍と気象当局が協力し、ハリケーンの構造を変える実験を行いました。

 狙ったのは、ハリケーンの目を取り囲む「眼の壁」と呼ばれる積乱雲です。その周辺へヨウ化銀を散布して外側の雲を発達させ、元の眼の壁に代わる、ひと回り大きな眼の壁を作ろうとしました。強風が吹く範囲を外側へ広げることで、最大風速を低下させるという理屈です。

 1969年のハリケーン・デビーに対する実験では、A-6A「イントルーダー」がヨウ化銀を含んだ発煙筒を眼の壁付近へ投下しました。A-6Aは、通常爆弾やミサイルなど最大約8.2トンの兵装を搭載でき、核兵器の運用能力も備えた、当時のアメリカ海軍を代表する全天候艦上攻撃機です。敵地を攻撃するために開発された機体が、このときはハリケーンを弱めるために投入されたのです。

 実験にはヨウ化銀を散布するA-6Aが5機、そのほかの観測機を含めると計13機の航空機が参加しました。散布後に観測された最大風速は、1日目に約31%、2日目に約15%低下しました。

 しかし、それが薬剤散布の効果だったとは証明できませんでした。ハリケーンは人為的な操作を加えなくても、外側に新しい眼の壁を形成して一時的に風速を低下させることがあります。また、ヨウ化銀を作用させるために必要な過冷却水滴も、想定ほど多くありませんでした。自然に起きる変化と人工的な操作の影響を区別できなかったのです。

 計画は1983年に終了し、現在も台風やハリケーンの勢力や進路を確実に変える技術は確立されていません。そのため現在は、気象現象を直接制御するよりも、進路や勢力を早く正確に予測し、避難や防災へ役立てることに力が注がれています。

 人類はさまざまな技術を発展させ、宇宙へ到達し、かつて治療が難しかった病気の一部も克服してきました。気象分野でもレーダーや気象衛星が発達し、台風やハリケーンの進路や勢力を予測できるようになっています。しかし、その動きを思いどおりに制御する技術までは得ていません。ハリケーンを相手にした壮大な航空実験は、自然現象がそれほど巨大で複雑であることを示しています。