熊本県で最大震度7を観測した地震では、2016年の地震からの復興事業を先導する県職員奥村知明さん(59)も被災した。「復興の仕事はおろそかにできない」。被害が大きかった氷川町の自宅から避難し、仮住まいをしながら業務を続けている。
奥村さんは、16年に震度7の揺れに2度見舞われ、甚大な被害が出た益城町の区画整理事業などに当たる益城復興事務所長を務める。20年に発生した豪雨災害の復興計画にも携わり、長らく復旧・復興の最前線に立ってきた。
「日奈久断層での地震は早くても30年後だろう」。7月28日午前、奥村さんは16年の地震を引き起こした断層帯の「割れ残り」の活動予測に関する情報を職場で調べており、そう思った。しかし退勤直前の同日午後4時27分、激震に襲われた。氷川町では震度7が観測された。家族と連絡が付かず、急いで車を走らせた。
約1時間後に自宅に到着した。築31年の木造2階建ての家屋は玄関先の柱が根元からずれたが、土台の上にわずかに残ったため倒壊を免れていた。自宅にいた妻(60)の命は助かったが、応急危険度判定で立ち入り「要注意」とされ、解体・建て直しを余儀なくされた。
ただ、仕事を休む考えはなかった。益城町では3月、16年の地震で被災した県道の4車線化工事が終わり全面開通したが、土地区画整理事業はまだ途上にあったからだ。
「時間の経過とともに被災者の生活再建の考え方は変わるが、県や町は、それを把握してできる限りの提案をする必要がある。復興は旗振り役がしっかりしないと」と語る奥村さん。今月6日に八代市内のアパートで仮暮らしを始めるまで、午前は益城町で勤務し、午後は自宅の片付けをする日々が続いた。
生まれ育った氷川町は今回、5人が犠牲になり、住宅被害は2000棟を超えた。同町は24年に民間の有識者会議が公表した「消滅可能性自治体」に挙げられており、人口流出がさらに進む恐れもある。二つの熊本地震に向き合う奥村さんは、「将来も町が残っていてほしい」との思いを胸に、復興の最前線に立ち続ける。
〔写真説明〕益城復興事務所で業務に当たる奥村知明さん=24日、熊本県益城町
〔写真説明〕熊本地震の被害を受け、剥がれた自宅の土壁を見詰める奥村知明さん=24日、熊本県氷川町
〔写真説明〕益城復興事務所での仕事を終え、生まれ育った氷川町を車で走る奥村知明さん=24日、熊本県氷川町