被爆者らでつくる長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)は6月に結成70年を迎え、事務所で公開する展示を一新した。核兵器廃絶や援護充実を求める運動の歩みを示す資料が飾られた一方、活動初期に関する記録などがほぼ残存しないという課題も残る。識者は「一刻も早く収集し、散逸を防ぐ体制をつくらなければ」と警鐘を鳴らす。
長崎被災協は1956年6月、被爆者代表として初めて国連で被爆体験を証言した故山口仙二さんらの呼び掛けで結成。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の構成団体として被爆者援護や核廃絶を訴え続け、2024年のノーベル平和賞受賞にも貢献した。
今年6月、事務所の地下講堂にある展示をリニューアル。被爆者が戦後、生計を立てるために「被爆者の店」で売っていた「マリヤ人形」や、被爆の影響で下半身不随となった故渡辺千恵子さんが編んだセーターなど約150点を公開した。更新に当たり、新たに展示する資料の提供を呼び掛け、寄贈された物もある。
だが、長崎の被爆者団体の活動を研究する長崎総合科学大の木永勝也客員研究員は「資料があまり残っていない。何らかの事情でたまたま残っている物もあるという状況」と話す。結成を呼び掛ける案内文の原本など、特に発足時の資料が見つかっていないという。
長崎被災協に半世紀以上携わる横山照子副会長(85)は「最初の頃は運動に一生懸命で、将来のために資料を残さなければいけないという思いに至っていなかった」と語る。
被爆者団体の活動資料については、長崎原爆資料館を所管する長崎市をはじめとする県内自治体でも、組織的に収集や保存を行う体制がない。長崎市は、被爆遺物や証言記録といった「原爆による被害の状況を直接的に示すような資料」を収集していると説明。団体の運動に関する資料は対象としていないとした上で、「被爆者の活動の価値を誰が伝えていくかは、新たに検討する時期に来ているのかもしれない」との考えを示した。
ピーク時には1万人超いた会員は約1500人まで減り、収集に取り組む組織の体力も落ちている。木永氏は「資料が残らないと事実かどうかも確認できなくなり、被爆者を巡るさまざまな問題が分からなくなってしまう」と指摘。「事実が捏造(ねつぞう)されかねず、被爆者への誤った認識だけが残ることも考え得る」と危惧した。
〔写真説明〕長崎原爆被災者協議会に残存していたカセットテープについて説明する長崎総合科学大の木永勝也客員研究員=7月23日、長崎市