埼玉県と群馬県のショートカットルートとしてよく知られる国道462号。県境の利根川に架かる橋は2代目ですが、かつては「鉄道」が通るはずでした。
初代の「坂東大橋」は「鉄道・道路併用橋」として建設
JR両毛線が通り、東武伊勢崎線の終点ともなっている群馬県伊勢崎市。都内からクルマで目指す場合、高速道路だけを経由すると関越道・北関東道の両方を通行する必要があり、通行料が結構嵩みます。しかし、関越道の本庄児玉ICで降り、国道462号を走ると伊勢崎までショートカットできます。
その時差は、高速経由と比べてわずか数十分遅れをとる程度。節約するなら間違いなく後者になるわけですが、このショートカットに大きく貢献するのが「坂東大橋」です。
「坂東大橋」は、埼玉県本庄市と群馬県伊勢崎市とを分ける利根川にかかる、双方の人たちの生活に欠かすことができないとても重要な橋です。その歴史もまた、深みを感じさせるものがあります。
昭和初期まで両岸の住人は利根川を渡る際、渡し船を使うのがメインでした。利根川の水量が少なくなる冬期は、木製の仮設橋があったものの、やはり何かと不便。そんな経緯から1931(昭和6)年に初代「坂東大橋」が建設されます。
この初代「坂東大橋」は当初、県境を跨ぐ「鉄道道路併用橋」として設計され、対岸の双方の人たちから大きな期待を寄せられました。
その鉄道とは、赤城山麓を東西につなぐように中央前橋と西桐生を結んでいる私鉄、上毛電気鉄道の計画路線「本庄線」でした。中核駅である大胡から伊勢崎、本庄へと鉄道を敷くつもりでした。
しかし、上毛電気鉄道が資金難となり工事が中断。さらに時が経ち、大胡~本庄区間の建設免許が失効してしまいます。これにより坂東大橋に鉄道が通ることはありませんでした。
ただし、1970年代のモータリゼーションの高まりで交通量が増えた際には、鉄道用の軌道部分を拡幅し、車道への転換を行いました。結果的に「鉄道道路併用橋」の計画が功を奏する格好となりました。
2代目「坂東大橋」の建設費用は、群馬・埼玉で仲良く割り勘
初代「坂東大橋」は約70年使われ、老朽化と合わせて、車道の幅員が狭いことによる渋滞も発生。その解消が課題とされました。そこで、現行となる2代目「坂東大橋」建設に着手したのです。
建設費用の230億円は、「川の上の橋梁本体は埼玉県・群馬県で折半、「坂東大橋」までの前後のアプローチ道路はそれぞれの県が負担する」というカタチで賄われました。
2代目「坂東大橋」は斜張橋(しゃちょうきょう)の構造で、主塔となるタワーが白鳥の顔や頭部を、そして主塔から桁へ延びるケーブルが優美な翼をイメージさせるような形状で建設されました。これは冬場の利根川に飛来する野生の白鳥がモチーフとされ、実用・デザインともに美しく、意義深い橋へと進化しました。
2代目「坂東大橋」の完成・開通は2004(平成16)年。全長936m、幅員20.5mの4車線道路となりました。群馬県で管理する橋の中では最長のものとなり、初代以上に対岸双方の人々の生活に欠かすことができない重要な橋となりました。
旧橋も一部、残っている!
他方、筆者が「坂東大橋」を訪れ胸が熱くなったのは、群馬県側のたもとに、旧「坂東大橋」の一部がモニュメントとして保存され、同時に新旧の「坂東大橋」の成り立ちを伝える掲示板などが設置されていたことです。
前述のような紆余曲折がありながらも、群馬県民・埼玉県民双方をつないだ旧「坂東大橋」を忘れずに遺しているところに、長きにわたって愛され続けたこの橋の意義を強く感じました。
また、現行の2代目「坂東大橋」は歩道も広く、一部はバルコニー化されているところもあります。これは「坂東大橋」から赤城山をはじめとする山々や、飛来する白鳥などを眺められるよう計算されたものです。この橋が単に「移動上、便利な橋」というわけではないところにシビれます。
都心部から群馬県伊勢崎市を目指す、あるいはその逆への移動の際は、ぜひこの「坂東大橋」を通ってみてください。地元の人たちから長きにわたって愛され続ける重要な橋から眺める美しい景観に、感慨を覚えることウケアイです。