重装甲なのに“撃破されまくり”!? 英軍戦車「マチルダII」実戦で露呈した致命的な欠点とは

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初代歩兵戦車「マチルダ」の妹分であり、重装甲と新型砲の搭載により大きく進化した「マチルダII」でしたが、思わぬ問題から短命に終わってしまいました。

歩兵戦車の“本命”として誕生したマチルダII

 第二次大戦直前の時期、イギリス陸軍は独自の戦車区分である「歩兵戦車」の第1作目として、「マチルダI」を開発・配備しました。歩兵を直接支援するため、低速ながら敵の対戦車砲に耐えられるように重装甲が施された同車ですが、機関銃1挺しか装備していないため、あまりに火力不足でした。そこで、より本格的な戦車として「妹分」ともいえる「マチルダII」が誕生します。マチルダIと比べ、どれだけ進化したのでしょうか?

「姉貴分」のマチルダI(参謀本部戦車開発番号A11)の試作車が完成した1936年9月、より重装甲でより大火力を備えた、歩兵戦車の本命たる「歩兵戦車Mk.II(A12)」の要求性能仕様が提示されました。そして愛称は、A11と同じく「マチルダ」とされましたが、混乱を防止するために、当初、A12のほうは「マチルダ・シニア」と称され、これにともない、A11は従来通りの「マチルダ」か「マチルダ・ジュニア」と呼ばれるようになります。しかしその後、A11が「マチルダI」、A12が「マチルダII」と称されるようになりました。

 マチルダIIの開発は、バルカン・ファウンドリー社で行われました。速度はマチルダIよりも速く、対戦車戦闘に適した2ポンド砲と、同軸にはマチルダIの主兵装と同じ.303口径機関銃(のちに7.92mmBESA機関銃に変更)を装備しています。装甲防御力はマチルダIよりもはるかに強化されており、乗員も2名増えて4名でした。

 画期的だったのは、機関銃のようにベルト給弾ではなく、1発ずつ装填しなければならない2ポンド砲を搭載したため、砲塔の乗員を車長と砲手に加えて装填手の計3名としたことです。これにより、車長は余計な仕事に気を取られることなく、戦況を確認しながら自車全体の指揮を執ることに専念できるようになりました。

榴弾砲を撃てない戦車砲

 マチルダIIが搭載した2ポンド砲については、陸軍内部の一部識者から、歩兵を支援する戦車の備砲には、同砲は不適当ではないかとの指摘もありました。

 当時、歩兵の近接支援には歩兵砲が用いられており、主に榴弾か榴散弾を使用していました。これに対して2ポンド砲は、1934年に対戦車砲として開発が始まったものであり、小口径高初速砲として当時としては高い装甲貫徹力を備えていました。

 そこでイギリス陸軍は、同砲を対戦車砲としてだけでなく、戦車砲としても採用することにしたのです。しかし小口径なので榴弾砲として用いた場合、炸薬量が少なく威力も弱いため、当初はあえて榴弾を量産せず、部隊にも交付しない方針が採られました。

 それに加えて、戦車には歩兵を掃射するための機関銃が別に装備されており、戦車砲は敵の戦車しか撃たない砲なので、2ポンド砲程度の威力のない榴弾の供給のために生産と兵站の現場を混乱させるのは得策ではないという判断もあって、マチルダIIにも徹甲弾だけが交付されたのです。

 また、マチルダIIのエンジンの選択にあたっては、1基で必要な出力を得られるエンジンがありませんでした。そこで同型のディーゼル・エンジン2基を搭載する方法が採られました。エンジン2基を並列で搭載し、両エンジンからの動力をギアによってひとつにまとめ、1本の出力軸を介して変速装置へと送るというものです。

 この方式は、1両あたり2基のエンジンを整備しなければならないという手間が生じる一方で、1基のエンジンが故障しても、もう1基のエンジンだけでかろうじて行動できるので、そのような場合は、自力で戦線を脱して後退できるという長所もありました。

接近しないと対戦車砲と戦えない!?

 マチルダIIの試作第1号車は1938年4月に完成。第2次世界大戦の勃発時には、まだ部隊への配備の途中でした。それでも北アフリカの戦いやフランスの戦いに投入され、当初は善戦します。

 ところが戦況が進捗するにつれて、大問題が生じてしまいました。それは前述した2ポンド砲に榴弾がないという問題です。重装甲で敵の対戦車砲弾に耐えられるのはよいのですが、その対戦車砲を破壊するための榴弾が撃てなければ、敵に撃たれっぱなしになってしまいます。

 実際、北アフリカの戦いでは、ドイツ軍が高初速の8.8cm高射砲による水平射撃でマチルダIIに致命的な攻撃を加えたとき、榴弾がないマチルダIIは車載機関銃の射程まで接近しないと敵の砲を撃破できないという事態が生じました。

 もちろん長射程の8.8cm砲が先に射撃を開始するので、機関銃の射程に到達する前に撃破されてしまうことがほとんどであり、マチルダIIは手も足も出ないという状況が現出したのです。まさに2ポンド砲が選ばれたとき、一部の識者が懸念した事態が、実際に起きてしまったのでした。

 実はこのようなことを想定して、10数両のマチルダIIに対して、榴弾しか撃てない3インチ砲を搭載したマチルダII CS型(CSは近接支援:Close Supportの略)が1両程度配備されており、榴弾射撃を行うように想定されていました。しかし、混乱した戦闘状況下では射撃の「分業」を整然と行うことなどできませんでした。

 しかも、マチルダIIには改良発展ができるだけのマージンがなかったため、その生産は1943年初頭で終了してしまいました。一方でオーストラリア軍に供されたマチルダIIは、太平洋戦域で日本軍を相手に善戦。同国では「マチルダ・フロッグ」と呼ばれる火炎放射型まで独自に開発されるほど、活躍しています。