「嫁入り道具の定番バイク」「全家庭の必需品」「買えなければ結婚できない」 日本人が知らないアジアのスゴする「ベスパ熱」をご存じか?

ソフトウェア市場の拡大に期待

高度経済成長期の日本ではマイカーブームが起こりましたが、同時期の台湾やインドでは「ベスパ」がその役目を担っていました。映画のオシャレなイメージとは違う、アジアの人々の生活に深く根付いた歴史があります。

台湾では“3種類のベスパ”が走っていた!?

 高度経済成長期の日本では、「一家に一台」のマイカーブームが巻き起こりました。一方、同時期の台湾やインドをはじめとするアジア諸国はまだ「一家に一台」クルマを持つことは庶民には難しく、その代替的な乗りものだったのは、イタリアが生んだ鉄スクーター、ベスパでした。

 イタリア・ピアジオ社が1946年に発売し、以降時代を重ねるごとにモデルを進化させていったベスパは、映画『ローマの休日』や日本のテレビドラマ『探偵物語』のアイコンとして知られ、オシャレなイメージがあります。ですが、アジア諸国におけるそれはオシャレ以前の生活に深く根付いたものでした。

 台湾には1960年代初頭にイタリア本国から輸入されました。ただし、当時の台湾は輸入制限がしかれていて、高所得の専門職だけが所有できる高級品でした。現地では「医師のスクーター」と呼ばれ、庶民の憧れの的だったようです。

 ちなみに、イタリアでは「音とお尻の造形がスズメバチのように見える」として「ベスパ(スズメバチの意)」と名付けられました。一方、台湾の輸入当時は、同じような理由で「音とお尻のデザインが年を取った鴨のように見える」として「老鴨母(ラオヤームー)」と呼称され親しまれました。

 1965年には、偉士伯というバイクメーカーがピアジオ社からライセンスを取得し、台湾の自社工場で製造したライセンスベスパ(いわゆる台湾ベスパ)を発売。「偉士牌(ウェイスーパー)」の名でリリースされ、これが庶民の間に広まっていきました。

 一方、この台湾ベスパの大ヒットを前に、同じく台湾のバイクメーカー・百吉發が策略を思い付きます。同時期、インドのバイクメーカー・バジャジは、前述の台湾ベスパ同様ピアジオ社からライセンスを取得し、インド市場でライセンスベスパ(いわゆるインドベスパ)を販売していました。百吉發は、このバジャジから「孫ライセンス」的な権利を取得。同じく台湾での製造を始め、「百吉發(パイジーファ)」の名で台湾のバイク市場に投入しました。

 結果的に、一時は「イタリア製」「台湾・偉士伯製」「台湾・百吉發製」と、出自の異なる3種のベスパが入り乱れることになりました。

台湾ではマイカーならぬ「マイベスパ」が根付いたが…

 一時期までの台湾では「3種類のベスパか、ごく僅かのカワサキなどの実用バイクしかない」時代がしばらく続いたこともあり、まさに台湾人にとっては「昔のバイク」イコール「ベスパ」だったというわけです。

 軍や警察、銀行員といったお堅い仕事の車両に採用されたほか、若者のデートの足となり、嫁入り道具の定番にもなりました。結婚式では「新郎新婦がベスパに乗るコーナー」が式に組み込まれることも珍しくなく、やがて誕生した子どもたちもベスパに憧れ、ベスパのオモチャに乗って遊ぶ時代がしばらく続きました。

 日本の高度経済成長期、「マイカー」の前で子どもを抱っこして撮る「家族写真」が定番となり、それはある種の物質的な豊かさを示すものでした。一方の台湾では「マイカー」に変わるものが「ベスパ」で、ベスパの前で子どもを抱っこして撮る家族写真が定番だったようです。現に台湾人に「古い家族写真を見せてくれ」とお願いすると、結構な頻度でベスパが映り込む写真を目にします。

 しかし、1980年代に入ると、状況が少しずつ変わっていきます。まず、前述の百吉發が1984〜1985年にかけて不渡りを連発し倒産。また、同時期に水面下で日本のホンダの技術提供を受けてきた台湾のバイクメーカー、光陽(KYMCO)、三陽(SYM)といったメーカーが続々と高性能で軽いスクーターを発売。旧来式の鉄でできたベスパは「過去の産物」として不人気になりました。さらに1995年に台湾で2サイクルエンジンへの厳しい規制がしかれると、台湾におけるベスパは完全に淘汰される格好となりました。

 経済発展途上期の台湾は、「古い物には用がない」「もっと合理的で便利な物を」と前へ前へと進むきらいがあり、あれだけ親しまれたベスパは「鉄屑」として街中に捨てられているのをよく見かけたものです。しかし、世界的なクラシックベスパの評価が台湾にも伝えられると、再びベスパが再評価されることにもなりました。

 今も台湾各地にクラシックベスパの専門店やマニアのガレージが存在し、一般ニュースや新聞でもたびたび「お爺ちゃんやお父さんが好きだったベスパの今」のような特集報道がされることがあります。また、年に一度、台湾各地で「ベスパラン」的なイベントが開催され、リアルタイム世代から若い層までが一同にベスパに乗って集結します。同様の「ベスパラン」は世界各国にありますが、アジア圏では台湾でのそれが、抜きん出た熱量を持って開催されているように映ります。

インドではベスパが結婚の結納金!? 納車待ちで結婚を10年遅らせた例も

 前述した、台湾ベスパとも関係深いインドのライセンスベスパは、1972年から製造販売がスタートしました。インドの国民的英雄として知られた君主マハラナ・プラタップが飼っていた馬「チェタック」からその名をもらい、バジャジ・チェタック(いわゆるインドベスパ)と名付けられました。

 バジャジは「ベスパは、インド人の家庭すべての必需品だ」と大々的にキャンペーンを行ったこともあり、庶民に広く普及しました。さらに驚くべきことに、結婚式においてはベスパが結納金代わりにもなりました。結婚をする際にも、「新郎がベスパを用意できなければ男じゃない」と新婦側から認めてもらえないケースが珍しくなく、ベスパの納車が間に合わず、結婚式を延期する例もよくあったと言われています。

 他方、バジャジのインドベスパの製造台数は、政府によって厳しく管理されていて、一時は「年間2万台」に制限されていました。当然、「ベスパが買えない=結婚できない」カップルもいるため、お金がある場合は闇市場でベスパを購入し間に合わせ、お金がない場合はベスパの納車を待って10年結婚を遅らせた人までいたとのことです。

 ここまでの通り、インドにおけるベスパもまた庶民の生活に根付き、ステータスシンボルでもあったわけです。しかし、時代が代わりニーズが減少。世界的な流れを受けてバジャジでは4サイクルのベスパも開発しますが、売り上げは低迷。2009年にスクーター全般の生産を中止するに至りました。

タイ、インドネシア、ベトナムでもライセンス生産されていたベスパたち

 日本におけるベスパは、GHQが持ち込んだのが最初と言われています。以降コアなマニアの間で親しまれ、1980年代後半から1990年代にかけて大ブームを巻き起こしました。1979年放映の伝説のテレビドラマ『探偵物語』の劇中では、主演の松田優作がアイコン的に乗りお茶の間で認知されています。イタリア本国では廃盤となっていた旧式のスモールボディのベスパを、日本の商社が「日本向け」として特別にオーダーをし、輸入したことで大ヒットしました。

 また、日本におけるベスパブーム期は、前述の台湾ベスパ、インドベスパも輸入され、台湾同様の「出自が異なるベスパ」が存在し、当時輸入されたデッドストックのインドベスパが今も新車で購入できる、という驚愕の事実もあります。

 この他にもタイ、インドネシア、ベトナムなどでも独自にライセンスを取得しベスパを製造していた時代もありました。その結果「自国の経済発展を支えたスクーター」として各国で根強い支持を得続けています。

 ベスパと言うと、映画『ローマの休日』での名シーンや、イギリスのムーブメント『モッズ』の象徴として取り上げられることが多いですが、実はアジア諸国でも深く親しまれた乗り物でもありました。

 造形が美しく、スカートでも乗れる合理性とメンテのしやすさ、そしてどこかクルマっぽくて頑丈で、国によって家族全員で乗ることもできたクラシックベスパ。今改めて注目したい特別なスクーターです。