サッカーのワールドカップ(W杯)1次リーグ初戦で得点を決め、第2戦でもアシストを記録するなど勢いに乗る日本代表の中村敬斗選手(25)。26日(日本時間)のスウェーデン戦でも活躍が期待されるアタッカーは、幼少期から非凡だった。小学生時代の恩師は「試合のたびに1人で10点くらいはざらだった」と誇らしげに語る。
千葉県我孫子市出身。小1で地元の「高野山サッカースポーツ少年団」に入団した。総監督だった小国勝男さん(87)は「どんなに厳しい試合でも1点は取ってくれた」と振り返る。2年生までに出場した大会はすべて優勝したという。
ゴールキーパーを志願したこともあった。理由は「全員を抜きたいから」。最後尾から攻撃を仕掛け、点をもぎ取った。
当時、少年団の代表だった松本治さん(64)が驚いたのはドリブルの方向転換の鋭さだ。小1ながら、相手を見て足の内側と外側を使い分け、進路を変える判断力と技術は「他の子ではあり得なかった」。
サッカー未経験者ながら自主性を重んじる両親に育てられた。低学年の頃の夢はブラジルでプレーすること。手作りの単語カードでポルトガル語を学び、練習後も1人で黙々とボールを蹴り続けた。
挫折も味わった。高いレベルの環境を求めて小3で少年団を離れた。別のチームを経て柏レイソルの下部組織に入ったが、パス重視のチーム方針の中で、得意のドリブルは生かせなかった。「最後は同級生とサッカーがしたい」と小6で少年団に戻った。
「レベルの下がる少年団でチームになじめるのか」。当時、松本さんが抱いた懸念は、杞憂(きゆう)に終わった。貪欲に勝利を目指してプレーしつつも、「仲間に厳しく当たることはなかった」からだという。
当時の同級生らは「すさまじかった。ボールを渡したらスイスイ行ってくれた」と口をそろえる。「チャンスでパスをくれた」との声も。周囲の信頼は厚く、中学校に進み、チームが別になっても近くの公園で一緒にサッカーを楽しんだ。
「ドリブルをしたいから守備をやってくれ」とよく頼まれたという同級生の丸山柊二さん(25)は2年前、中村選手が活動するフランスで試合を観戦した。「遠い存在に感じたけど、会えば何も変わっていなかった。思い出せないほど普通の話しかしていない」。あの頃の笑顔のまま、変わらぬ友を応援している。
〔写真説明〕小学1年生の時の中村敬斗選手(家族提供)
〔写真説明〕ブラジル代表に憧れた中村敬斗選手が小学生の時に作ったかばん。ブラジルの国旗が描かれている=4月26日、千葉県我孫子市
〔写真説明〕サッカー日本代表の中村敬斗選手の小学生時代(家族提供)
〔写真説明〕サッカー日本代表中村敬斗選手を小学生時代に指導した松本治さん(左)と小国勝男さん=4月26日、千葉県我孫子市