鳥居をくぐったら“キリスト教の教会”だった――かつての「日本」台湾に残る神社がゆる~くカオスな件 驚愕のリメイク版も!?

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1895〜1945年の50年間、台湾は「日本」でした。今も台湾各地には日本統治時代の「神社」の遺跡が残りますが、一部は驚きのリメイクを遂げたものもあります。

「日本」だったから「神社」がたくさん残っている台湾

 1895年から1945年までの50年という長い間、台湾はかつて「日本」でした。日本では政府もマスコミも長らく「台湾の日本統治時代の話」をしたがらない傾向にあったため、つい15年ほど前まで、その史実を知らない日本人は珍しくありませんでした。

 2011年の東日本大震災に際して多額の義援金を日本へ寄付したことをきっかけに巻き起こった台湾ブーム以降、「台湾と日本の本当の話」を知る・学ぶ人が増えましたが、それでもまだまだ知らない、知らされていないことも多くあります。

 その一つが、台湾における日本の「神道」にかかわる話で、ほとんど語られる機会がありません。それでも実は今日も台湾各地には、日本統治時代の神社の遺跡、近年新設された神社、驚愕の鳥居リメイクなどが静かに、しかし力強く存在し続けています。特に象徴的な神社跡、興味深い神社跡を9社ピックアップしてご紹介します。

鉱山の山奥で眠る神社跡【金瓜石黄金神社】

 日本統治時代に発見された金瓜石鉱山(現在の新北市)。かつてゴールドラッシュに沸き、おおいに栄えたエリアですが、この鉱山の一角に、神社が遺り続けています。

 当時、鉱山を手に入れた日本の久原鉱業(後の日本鉱業、JX金属)が明治時代に建てた神社がルーツで、現在の遺跡は1936(昭和11)年に改築されたものだと言われています。現在は財運アップのパワースポットとして人気があり、参拝者による付近へのお賽銭なども散見されます。

 本殿跡まで続く、勾配のかなり激しい参道は、体力に自信がある人でないとお薦めできませんが、しかし日台の歴史に触れられる重要な古跡です。近隣の名観光地・九份の散策と合わせて参拝してほしい神社跡です。

(「金瓜石黄金神社」新北市瑞芳區金瓜石金光路51之1號)

80年以上「そのまま」の神社跡【猴硐神社遺跡】

 金瓜石黄金神社から99kmほど南西の基隆河沿いにある神社跡。1934(昭和9)年創建という説がありますが、詳細を明言化した文献を筆者は見たことがなく、管理する新北市も明らかにしていません。

 ただし、近年明らかになった情報によると、この猴硐神社も金瓜石黄金神社と同様、鉱山会社が建立したもので、日本統治が終わった以降は管理者がおらず、80年以上手つかずのままで遺り続けているといいます。

 筆者が訪れた2019年時点で、この猴硐神社に二基残る鳥居のうち、木製のものはかなりグラついていました。心配していましたが、最新情報では今日もしっかり建ち続けているそうです。

(「猴硐神社遺跡」新北市瑞芳區猴硐路61號)

神社と廟がミックス!? 不思議な神社遺跡【汐止忠順廟(汐止神社遺跡)】

 台北から在来線(台鉄)に乗り北東に約20分ほどの場所にある汐止駅を下車。駅北側にある汐止公園の入口に今も、大きく真っ赤な鳥居があります。もちろんこの鳥居も日本統治時代に設置されたもので、この鳥居をくぐり、さらに進んで行くと汐止神社跡の忠順廟があります。

 汐止神社は1937(昭和12)年に神社として建てられましたが、戦後、国民党軍によって道教の廟である忠順廟に転じられました。しかし廟内には狛犬などの神社の痕跡も随所にあるため、結果的に廟と神社をミックスしたような印象を与える興味深い神社遺跡となっています。

(「汐止忠順廟(汐止神社遺跡)」新北市汐止區公園路10號)

拝殿が「帽子型」に改造された元神社跡【金陵祠(鳥居土地公廟)】

 1936年、当時台湾で流行っていたバロック式建築を取り入れて創建された神社跡です。今も鳥居・石灯籠が残っていますが、大半は道教式に改変。帽子型の拝殿となり、結果的に日本式・バロック式・中華式が混在した廟となっています。

 祀られているのは、地域を守る土地公。この界隈に多い客家人が営むサトウキビ、タバコ葉などの農家の人たちが豊穣を祈願するために参拝に訪れることが多いようです。

 原則的には無人の廟ですが、廟に備えられたQRコードをスマートフォンで読み込むと、音声とビデオによって廟のガイドを聞くことができるシステムがあります。一見の参拝者への配慮もする親切な廟です。

(「金陵祠(鳥居土地公廟)」台中市豐原區鐮村里鐮村路271巷63號(對面))

公園で“寝ている”日本統治時代の鳥居【台中公園(台中神社遺跡)】

 台湾南部の都市、台中の中心地にある台中公園。ここはかつての台中神社があった場所です。

 神社の大半は戦後すぐに破壊されましたが、遺された鳥居は園内の一角で寝かされ保存されています。この鳥居は、第七代台湾総督だった明石元次郎の墓前にあったもので、「無言で歴史を伝える」遺構としてよく知られています。

(「台中公園」台中市北區公園路37之1號)

「鳥居」をテーマにした喫茶食堂【鳥居喫茶食堂】

 台湾製糖の企業神社の遙拝所があった場所をリノベーションし、「鳥居」をテーマにした喫茶食堂に“変身”を遂げたところがあります。

 和式の太鼓や巨大な折り鶴のオブジェがある他、館内では有料で浴衣のレンタルサービスもあります。このことだけを見ると、誰かが独自に作った観光施設のように感じますが、その一角には神社らしい手水鉢が残っています。

(「鳥居喫茶食堂」南投縣埔里鎮公誠路86號)

日本統治時代最大の「抗日戦争」の舞台の一つ【徳龍宮(霧ヶ岡社遺跡)】

 映画『セデック・バレ』で描かれた、日本統治時代最大の抗日戦争「霧社事件」の舞台の一つで、霧ヶ岡社(霧社神社とも)という神社があった場所が、今日では徳龍宮という孔子廟に変わっています。

 今なお石段手前には真っ赤な鳥居があり、石灯籠の一部もありますが、神社の創建は霧社事件の収束直後の1932(昭和7)年でした。霧社事件によって亡くなった多くの日本人および味方蕃(帰順した原住民族)が合祀された神社でしたが、現在、その英霊は日本の靖国神社に移されていると言われています。

(「徳龍宮」南投縣仁愛郷大同村介寿巷36之1號)

戦後初めて、台湾に再興された神社【高士神社】

 台湾南部・屏東県の山岳地に、原住民・パイワン族が暮らす高士村という村があります。1939(昭和14)年、この村の一角に高士祠という神社が創建され、地域の守護神として崇められていたそうです。日本人、パイワン族ともこの神社を信仰し、戦時中「生きて帰って来られなかったら、この神社で会おう」と、約束が交わされることがあったと言われています。

 戦後、廃社となり、台風被害などで社殿がなくなっていたところ、地元有志の熱意に呼応した日本在住の神職・佐藤健一さんが中心となり「高士神社」として2015(平成27)年に再興。台湾人初の神職・黄俊瑜さんとともに例祭を行ったことで知られています。

(「高士神社」屏東縣牡丹郷高士村50號)

極めつけはコレ! 鳥居をくぐって参拝するキリスト教会【新城天主堂(新城神社遺跡)】

 日本統治時代の抗日事件と言えば前述の「霧社事件」が有名ですが、これよりさらに30年以上前、台湾東部・花蓮でも「新城事件」と言われる抗争がありました。

 1897(明治30)年、日本軍人の1人が地元女性を暴行。激怒した原住民がここ新城の兵舎を攻撃し、日本人23名を殺害しました。

 これらの事件が収束した1937(昭和12)年に新城神社(新城社とも)が創建されましたが、戦後は公園とキリスト教会に変わり、「鳥居をくぐってキリスト教会を参拝する」というやや不思議な状況になっています。

(「新城天主堂(新城神社遺跡)」花蓮縣新城郷博愛路64號)

神社遺跡や鳥居は、まだまだ台湾各地に無数に存在する

 ここまで9つの台湾の神社遺跡を紹介しましたが、実はまだまだ氷山の一角で、さらに各地には無数の神社跡や鳥居などが存在しています。

 手つかずのまま遺り続ける例もあれば、日本統治時代を今も大切にし、懐かしみ大切に守り抜かれたものまで様々です。こういった遺跡を巡り、体験することで「台湾の日本統治時代の話」をよりリアルに感じられるはずです。