「W杯」が原因で戦争ぼっ発!? 半世紀前の悲劇「サッカー戦争」史上最後のプロペラ機による空戦も

省エネエアコン商戦は来年に注目

2026年W杯で世界が熱狂する中、振り返りたい悲劇があります。1969年のW杯予選をきっかけに勃発した「サッカー戦争」と、そこで繰り広げられた歴史上最後となる「プロペラ機同士の空戦」の真実に迫ります。

サッカーを巡って開戦は本当か?

 いよいよ開幕したサッカー・ワールドカップ北中米大会。チームがエントリーしている国の人々は各試合の成り行きに一喜一憂しており、その熱狂は7月19日(現地時間)の決勝戦まで続きます。ただ、過去にはこの「平和の戦い」が間接的なきっかけとなって、本当の戦争が起きてしまったことがありました。

 50年以上前の1969年6月に行われた、ワールドカップ北中米・カリブ予選でのこと。中米のエルサルバドルとホンジュラスが準決勝で対決したのですが、これがなんと開戦の原因を生んでしまったのです。

 というのも、エルサルバドルとホンジュラスは国境を接する隣国同士。そのため、両国の間にはもともと経済上の摩擦や国境線に関するトラブル、移民の流出入といった、外交面での深刻ないざこざが生じていました。しかも両国とも不安定な政情から、いつクーデターや内戦が起きてもおかしくない厳しい情勢下にありました。そこで両国の政府は、隣接する相手国を国民に敵視させることで不満を外に向けさせ、国内情勢の安定化を図ろうと考えたのです。

 準決勝に勝ったのはエルサルバドルでしたが、これに怒り狂ったホンジュラス国民は、エルサルバドルからの移民を集団で組織的に襲撃し、激しい暴行と虐待を加えました。エルサルバドル政府はこの出来事を知ると、まずホンジュラスと国交を断絶。ただ、エスカレートは止まらず、とうとう同年7月3日には国境地帯で両国の正規軍が交戦する事態へと発展してしまいます。結果、この武力紛争はこうした発端から「サッカー戦争(Football War)」と呼ばれるようになりました。

史上最後となるプロペラ機同士の空戦

 エルサルバドルもホンジュラスも決して豊かではない発展途上国であり、両方の国軍とも、アメリカの「お下がり」といえる中古兵器を装備していました。特に空軍の主力戦闘機は、世界的にはジェット機が当たり前になりつつあった1960年代末においても、いまだプロペラ機を主力に据えていたのです。

 このような事情から、エルサルバドル軍もホンジュラス軍も、ヴォート社製のF4U「コルセア」戦闘機と、ノースアメリカン社製のF-51(旧称P-51)「マスタング」戦闘機を装備していました。

 両軍の戦闘機は、開戦からしばらくの間は対地攻撃を軸に使われていましたが、1969年7月17日、ついに本格的な空中戦として相対することになります。

 この日、ホンジュラス空軍のフェルナンド・ソト・エンリケス大尉は、F4U-5NL「コルセア」を駆って対地支援の任務に従事していました。そのようななか、エルサルバドル機の来襲を告げる連絡が入電し、迎撃するよう命令を受けます。

 エンリケス大尉はホンジュラス空軍士官学校を卒業し、一定期間軍務に就いた後に退役。その後は民間商業パイロットとして働いていましたが、開戦により再招集されたベテランの飛行機乗りでした。

 しばらく飛んでエルサルバドル軍のF-51D「マスタング」戦闘機を視認した彼は、ぐんぐん高度を上げます。コルセアの長所である降下速度の速さを利用して、旋回性能に優れるF-51Dを一撃離脱で叩こうと考えた彼の戦術は見事に的中し、撃墜に成功します。

 続けて彼は、エルサルバドルのグッドイヤーFG-1D(グッドイヤー社製のF4U-1D)2機を立て続けに撃墜しました。これは、撃墜機と被撃墜機が同系統の機体という、史上まれに見る撃墜例でした。

サッカー戦争の結末

 なお、サッカー戦争自体はこの空戦が起きた翌日、7月18日の夜にいったん停戦となります。その後、小競り合いは続いたものの、8月3日にはホンジュラス領内からエルサルバドル軍が撤兵を完了させたことで戦争は終わりました。

 一方、エンリケス大尉は前述したような戦果によって少佐に昇進。さらに「プロペラ戦闘機同士の最後の空戦に勝利したパイロット」の称号を得るに至っています。加えて、乗機のヴォートF4U-5NLにも「プロペラ戦闘機を撃墜した最後のプロペラ戦闘機」という称号が付与されました。

 その後、エンリケスの乗機だったF4U-5NLは1981年に退役。現在はテグシガルパ航空博物館に展示されています。また彼自身は大佐まで昇りつめ空軍を退役、2003年10月13日に「ホンジュラス国家英雄」の称号を授与されましたが、3年後の2006年6月25日、同国の首都テグシガルパで亡くなりました(享年67歳)。

 各国の優秀なサッカー選手らが集い、母国の名誉をかけて競うワールドカップは、例えるなら「平和的戦争」です。しかしそれをきっかけに、「流血の戦争」が起きてしまったのは、あまりに悲しい出来事でした。