上野東京ラインはなぜ川口駅に停まらない? 利用者多いのに…背景に“便利さ逆転”の歴史

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埼玉県川口市とJR東日本は、川口駅に上野東京ラインを停車させる事業を進めています。なぜ多くの利用者がいる川口駅に現在は京浜東北線しか停車しないのか、その歴史的経緯を紐解きます。

京浜東北線よりも古い川口駅

 川口市(埼玉県)とJR東日本は、2025年4月に「川口駅上野東京ラインホーム及び自由通路等整備に関する基本協定」を締結しました。上野東京ラインを川口駅に停車させるべく、ホームの整備などを行う事業です。しかし2026年2月の選挙で市長が交代し、この事業の先行きはかつての時期より不透明さが増しています。

 JR川口駅は利用者が多いにもかかわらず、京浜東北線・上野東京ライン・湘南新宿ラインの3系統のうち京浜東北線しか停車しません。その理由は、これらの運転系統ができた順番にあるようです。

 この3系統のうち、最初にできたのは上野東京ラインにあたる東北線(宇都宮線)です。次いで、京浜東北線、湘南新宿ラインの順になります。

 川口駅は、まず東北線の駅として開業しました。その後、京浜東北線が大宮まで延伸した際に京浜東北線の停車駅となり、東北線の列車は通過に変わりました。

 一見不便になったように見えますが、川口駅が京浜東北線の駅に移行した頃は、東北線の列車は蒸気機関車が客車を牽引(けんいん)する形で運転され、列車の本数には限りがありました。一方で、京浜東北線は当初から電車が頻繁に運転されていたため、当時は京浜東北線の方が圧倒的に便利だったのです。

 ところが、東北線も電車の列車が増えていき、さらに長距離の特急列車は新幹線に移り、都市近郊輸送が主体となります。列車の本数はさらに増え、さらに東北線が上野東京ラインとして東海道線へ直通するようになると利便性が逆転、いつの間にか京浜東北線よりも便利になってしまったのです。

京浜東北線ができたのはいつ?

 先の通り、最初にできたのは東北線です。東北線は東京を起点として東北地方に向かう長い路線ですが、最初に開業したのは上野~熊谷間で、1883(明治16)年のことです。現在の高崎線方面に向かう路線が先に開業していますが、1885(明治18)年に分岐点の大宮駅が開業し、東北方面の鉄路も延伸しています。

 次いで開業したのが京浜東北線です。川口駅に関連する部分だと赤羽~大宮間が1932(昭和7)年に開業しました。東海道線や東北線が長距離輸送を担うのに対し、京浜東北線は都市圏の輸送を担当するべく、別に線路を設けています。

 元々、京浜東北線は1914(大正3)年に京浜線として東京以南が開業し、翌年には桜木町まで延伸しました。当時の東海道線や東北線の列車は蒸気機関車が客車を牽引する形でしたが、京浜線は当初から頻繁に電車を運行していた点が特徴です。京浜線の運転区間は北へ延伸し、1925(大正14)には上野・田端の各駅へ、1928(昭和3)年には赤羽、1932(昭和7)年には大宮まで延伸されています。

 延伸により、京浜線は京浜東北線と呼ばれるようになりますが、当時の時刻表では「東北・京浜線」と呼ばれていました。ちなみに、桜木町から先は根岸線として延伸されています。このため、京浜東北線の電車の行先表示には「京浜東北・根岸線」と表示されています。

 湘南新宿ラインは2001(平成12)年に開業しました。既存の貨物線を活用して東北・高崎線と東海道線・横須賀線を新宿経由で結んでいます。

 このうち、新宿以北だけを見ると、1984(昭和59)年に貨物線経由の赤羽行きの列車が設定されたのが原形です。当初は平日朝ラッシュ時間帯の上り列車だけでしたが、1988(昭和63)年には池袋まで延伸されて終日運行となりました。さらに1995(平成7)年には、平日夜間に新宿発の列車も設定されています。これらの列車の池袋・新宿以南が延伸され、「湘南新宿ライン」ができたと言って良いでしょう。

川口駅の利用者は本当に多いのか?

 JR東日本の発表によると、2024年度の1日あたりの乗車人員は以下の通りです。ここでは川口駅に関連して、赤羽~大宮間を主体にデータを集め、各駅の開業日も加えました。

赤羽 9万4167人、1885(明治18)年3月1日
川口 7万5061人、1910(明治43)年9月10日
西川口 5万4974人、1954(昭和29)年9月1日
蕨 5万5862人、1893(明治26)年7月16日
南浦和 5万5310人、1961(昭和36)年7月1日
浦和 9万939人、1883(明治16)年7月28日
北浦和 4万8182人、1936(昭和11)年9月1日
与野 1万8011人、1912(大正元)年11月1日
さいたま新都心 5万3720人、2000(平成12)年4月1日
大宮 25万4220人、1885(明治18)年3月16日

 これらの駅では、大宮の利用者数(乗車人員)が群を抜いていますが、次いで赤羽・浦和・川口の順となり、京浜東北線しか停まらない駅だと川口が多くなっています。

 駅ができた順番は、最初に浦和、次いで赤羽・大宮・蕨・川口の順です。川口駅は開業時から1934(昭和9)年まで「川口町」駅と呼ばれていました。

 1932(昭和7)年に京浜東北線が大宮まで延伸した際、赤羽~大宮間の各駅は京浜東北線に分離されました。それ以前は、上野から仙台や青森を結ぶ長距離列車も川口(町)に停まっていましたが、分離後、東北線や高崎線方面の列車は赤羽と大宮だけに停車し、その間の各駅は通過するようになりました。

 例外は浦和で、分離当初は一部の列車が停車していたこともありました。東北線の列車が浦和に再び停車するようになったのは、1968(昭和43)年10月のことです。湘南新宿ラインも当初は浦和を通過していましたが、ホームを設けて2013(平成25)年から停車しています。

 1934(昭和9)年の時刻表を見ると、当時は上野発着の東北線・高崎線方面の列車が合計で毎時2~3本運行されていました。これに対し、京浜東北線の列車は日中16分ごとに運転され、ラッシュ時間帯は運転間隔を8分としていました。しかも、現在と同じく都心部を経由して横浜方面まで乗り換えなしに移動できたとあれば、当時は京浜東北線の方が圧倒的に便利だったと言って良いでしょう。

 2026年3月のダイヤ改正の時刻を見ると、日中の運転本数は上野東京ラインが毎時6本、京浜東北線が毎時12本で、京浜東北線の本数が圧倒しています。

 川口に上野東京ラインを停車させる事業は、浦和に湘南新宿ラインが停車するようになった構図に似ていますが、事情は異なります。今後、この事業がどう進められるのかが注目されます。