鉄道・国道・高速「3本」が1か所にギュッ! 薩埵峠の“異常な絶景”が生まれたワケ

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静岡市清水区の薩埵峠は、富士山と駿河湾を望む絶景スポットとして知られていますが、同時に鉄道や道路が密集する交通の要衝でもあります。なぜこの狭い場所にインフラが集中しているのか、その歴史的背景と現代における重要性に迫ります。

富士山と交通インフラを同時に見渡せる絶景スポット

 静岡市清水区にある薩埵峠(さったとうげ)は、富士山と駿河湾を同時に眺められる景勝地として知られています。特に有名なのが、眼下に広がる海岸線と、そのすぐ脇を走る鉄道や道路を一緒に撮影できる構図です。晴天時には、青い海と富士山、そして海岸沿いを走る交通インフラが一体となった独特の風景を楽しめることから、多くの観光客や写真愛好家が訪れています。

 しかし、この場所の特徴は「景色の良さ」だけではありません。実は薩埵峠周辺は、東海地方を代表する交通インフラの集中地帯でもあります。

 展望台から海側を見ると、JR東海道本線、国道1号富士由比バイパス、東名高速道路がほぼ並行して走っており、しかも、それらが互いに極めて近い距離で密集しているのです。

 普通であれば、鉄道、高速道路、一般国道は別々の場所に整備されることが多いでしょう。しかし由比地区では、それらを別々に配置できるだけの平地が存在しません。そのため、東西交通を支える主要インフラが、海と山の間にある細長い土地へ“押し込められる”ように集中しているのです。

山と海に挟まれた「東海道の難所」

 こうした特殊な景観を生み出している最大の理由が、薩埵山とその周辺の地形です。峠付近の地形は山が駿河湾のすぐ近くまで迫っており、海岸沿いにわずかな平地しかありません。現在でも市街地や道路は、山と海に挟まれた細長い帯状地形の中に形成されています。

 この場所は、江戸時代から東海道の難所として知られていました。現在のような護岸や埋め立て技術がなかった時代には、高波や崖崩れによって通行不能になることも珍しくなかったとされます。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次・由井」にも、険しい海岸線を通る旅人の様子が描かれています。

 峠の北側にある由比地区は、そんな山と海に挟まれた地形にある町で、江戸時代当時は東海道五十三次の宿場町として発展した歴史を持ちます。鉄道や国道が整備される以前は、町と海岸線の距離がもっと近く、地元住民の間では「台風の翌日には、潮風で屋根のテレビアンテナが塩まみれになってテレビの映りが悪くなった」という話も残っています。また、山側に建てられた家では「午後3時くらいには日影になる」と、この土地ならではの制約がいろいろあったようです。

海を埋め立てながら広がった交通インフラ

 こうした狭い地形のなかで、東海道の交通インフラは時代ごとに少しずつ拡張されていきました。

 最初に近代インフラとして整備されたのは鉄道です。1889年に東海道本線が開通すると、日本の大動脈として大量輸送を担うようになりました。しかし、山側は急峻で勾配が厳しかったため、鉄道は海岸沿いを縫うように敷設されました。

 その後、自動車交通が普及すると、旧東海道をベースに国道1号が整備されます。ところが、由比地区の旧来の国道1号は道幅が狭く、カーブも多かったため、物流量の増加に対応できなくなっていったのです。

 高度経済成長期の1968年から1969年にかけて海側に東名高速道路が建設されましたが、その建設に伴う海岸整備によって海側空間が拡張され、その海岸整備を背景に、1970年代以降には富士由比バイパス整備も進められました。

 つまり、薩埵峠周辺の密集した交通網は、「江戸時代の街道」「明治の鉄道」「旧道の国道化」「高度成長期の高速道路」という時代と共に交通網が拡充した結果であり、現在の絶景は歴史の積み重ねを象徴したものだといえるでしょう。

日本経済の“アキレス腱”でもある?

 もっとも、これだけ自然と複数の交通網が密集していると、それによる悪影響もあります。特に問題となるのが、台風による高波や、豪雨・地震に伴う地すべりです。

 台風が接近すると、駿河湾沿いを通る富士由比バイパスや東名高速道路は、高波や高潮によって通行止めとなることがたびたびあります。実際、2019年の台風19号では付近の国道1号と東名高速が高波・高潮による越波によって通行止めになっています。

 また、1974年の豪雨災害では、高波・高潮だけでなく大規模な地すべりが由比地区で発生し、国道1号が23日間、東海道本線が7日間もそれぞれ長期間不通となりました。

 国ではこの場所の天災による脆弱性と、その被害を受けた場合の影響の大きさも理解しており、1948年から国による対策事業が続けられ、現在も大規模な地すべり防止工事が続けられています。

 また、2010年代以降に順次開通した新東名高速道路は、東名高速の混雑緩和や海沿いルートの災害リスク分散などを目的として、内陸側に整備されました。

 富士山の絶景で知られる薩埵峠ですが、その眼下には、江戸時代から日本の東西交通を支え続けてきた“交通インフラの大動脈”が今も集中しているのです。