目の前にそびえ立つ壁のような土堤を登りきると、目の前に広がっているのは、夢のような光景だった。「河川敷」とは思えないような広大な土地を高い樹木が取り囲み、そのなかに何面もの緑美しいサッカーグラウンドが広がっている。サッカーを愛する人、スポーツを愛する人、日常では感じることのできない広々とした空の下で思いきり動き回ることを何よりも愛する人々にとって、そこはまさに「パラダイス」に違いない。
「レッズランド」は、埼玉県さいたま市桜区下大久保、荒川の河川敷に広がる約14万平方メートルもの「総合型スポーツ拠点」だ。さいたま市をホームタウンとするJリーグの名門クラブ「浦和レッズ」が2005年にオープンし、現在は独立した「一般社団法人レッズランド」として地域のスポーツ振興に取り組んでいる。
現在の施設は、天然芝のサッカー場4面(うち1面はハイブリッド芝)、人工芝のサッカー場2面を中心に、天然芝ミニサッカー場1面、人工芝フットサル場4面、さらにはテニスコート(ハードサーフェス)5面のほか、涼しい林のなかでバーベキューなどを楽しめる「デイキャンプエリア」、さまざまな農業体験ができる「アグリフィールド」と、まさに盛りだくさん。2025年の利用者は3万3845人。スポーツを楽しむ人、子どもたちの自然体験に訪れる人など、一日中笑顔が広がっている。
長い低迷の時期を経て、日本のサッカーは1988年に「プロ化」に踏み切ることを決断した。当時、日本のスポーツの団体競技で唯一プロの歴史があったのは野球。第二次世界大戦前に始まった日本のプロ野球は、戦後の国土荒廃のなかで日本国民に夢と生きる希望を与え、圧倒的な人気競技となった。
それから半世紀後にスタートするプロサッカーリーグ。リーダーとなったのは、のちに「Jリーグ初代チェアマン」となる川淵三郎だった。社会全体が豊かになり、関心をもつ対象が多様化した昭和末期の日本社会で、新しいプロサッカーリーグはどうあるべきか―。川淵には、明確で具体的な「モデル」があった。それは、彼が日本代表選手として初めて訪れた西ドイツで体験した「スポーツシューレ(スポーツ学校)」だった。
森に囲まれた広大な敷地に数多くのサッカー場や体育館が点在し、トップクラスからアマチュアチームまで、たくさんの人がその素晴らしい施設で自分の好きなスポーツを楽しんでいる。「そんなスポーツ環境を、プロサッカーを通じて日本にもつくる」―。それが馬車馬のようにJリーグ実現にまい進した川淵の夢だった。
1993年にJリーグが誕生。日本中をプロサッカーの熱狂が包み、サポーターという新しい文化が生まれた。そしてその熱狂が去ったとき、川淵はいまこそ原点に戻るときだと考えた。そして彼自身の夢を語り始めた。「あなたの町にも、Jリーグはある」「スポーツで、もっと、幸せな国へ。」、そして「百年構想」…。そこから、Jリーグの本当の歴史が始まった。
川淵の夢への共感が広がり、クラブが増え、全国に広がった。1993年、スタート時に1府7県に計10クラブだったJリーグは、10シーズン目の2002年にはJ1、J2を合わせ、1都1道2府15県に計28クラブにもなっていた。しかし川淵が思い描いたドイツのようなスポーツ環境は、地価が高い日本では非常に実現が難しい、まさに「百年の夢」だった。
そこに突然誕生したのが、レッズランドだった。ここには1970年代から東京農業大学の運動施設があり、天然芝のサッカー場3面を中心にさまざまな運動施設が広がっていた。しかし大学は都内の世田谷区にあり、平日の利用はほとんどなかった。そのため、浦和レッズが、アカデミー(ユース、ジュニアユース)の活動拠点として、2面のサッカー場を大学から借りていた。そして東京農業大学の賃借契約が切れることになった2005年、レッズはここに「レッズランド」をつくることを決断した。
当初は数年かけて施設を整備してからオープンする計画もあった。しかし東京農業大学時代からの施設を利用し、「走りながら進めよう」と、着工からわずか3カ月、7月にプレオープンにこぎつけている。
オープニングセレモニーにゲストとして出席した川淵は、案内された土堤の上からレッズランドの全貌を見ると、「Jリーグができてわずか10年、こんなに早く夢が実現するとは」と、感きわまって言葉を失った。
川淵はレッズランド20周年を記念して2026年5月4日に開催されたイベントにも出席。同日にレッズランドで開催されていた「キッズフェスタ」にも飛び入りで参加、90歳を目の前にしているとは思えない健脚で「夢のスポーツ環境」での一日を楽しんだ。
浦和レッズはサッカーのプロチームを核とするクラブだが、レッズランドは「百年構想」の理念を受け、最初から地域の「スポーツ拠点」と位置づけられた。オープニングセレモニーには、テニスの伊達公子さん(当日は欠席)、プロ野球の池山隆寛さん、自転車競技の中野浩一さんなどさまざまな競技のゲストが招かれ、その後もテニススクール、ランニング教室、ラグビースクールなどが続けられている。
同じ2005年には、「浦和レッドダイヤモンズレディース」が誕生している。日本の女子サッカートップリーグでプレーしながら資金面で苦戦していた「さいたまレイナス」を、浦和レッズが引き受ける形での誕生だった。さっそく、レッズランドがレディースの練習場となった。
さらに2021年には、総合型地域スポーツクラブ「レッズランドスポーツクラブ」も設立された。地元桜区のスポーツ団体と協力し、桜区内の小中学校の体育館を活用するという形で、バレーボール、チアダンスなど7種類の教室を運営している。
レッズランドは荒川の河川敷に位置するため、クラブハウスや体育館など恒常的な建築物を建てることができない。歯がゆいところだが、逆にレッズランドを出て地域のスポーツ活動に積極的にかかわっていこうという姿勢が、Jリーグの理念を具現化している。
荒川は、埼玉県、山梨県、長野県の3つの県が境を接する奥秩父の甲武信ケ岳(こぶしがたけ=その名に「3県」が表現されている)を水源とし、埼玉県の中央部を堂々と流れてやがて東京湾に注ぐ。流域面積は2940平方キロ。「埼玉県の母」と言ってもいい一級河川である。下流部に当たるレッズランド付近では、河道と河川敷を合わせた幅は1.5キロにもなる。広大な河川敷の一部は私有地となり、農地やスポーツ施設が広がっている。
しかし本来、この場所は「荒川」の区域である。荒川を管理する国土交通省は、大雨のときには東京都を含む周囲への水害を防ぐため、この広大な河川敷をフルに利用する。2019年10月台風19号でもそうした措置が取られ、レッズランドは5~6メートルもの深さの水につかった。サッカーのゴールの高さの倍以上の深さである。そして水が引いた後に残ったのは、10センチもの厚さの土砂と、流れてきた膨大なゴミだった。復興には莫大な資金と時間が必要だった。このまま放棄されても不思議はなかった。
しかし浦和レッズは即座に「復興」を決断、主要出資企業からの協力もとりつけた。そのうえ、自治体、国土交通省の協力とともに、地域の人びと、クラブ支援企業、サポーター(他クラブのサポーターも!)、そしてここで成長してきた選手たち…、あらゆる人が物心両面でサポートした。
「レッズランドが復活したこと、そのためにホームタウンを挙げてのサポートを受けたこと自体が、Jリーグの『理念』の具現化そのもの」と、話を聞いた川淵は感じたという。
今年5月4日、レッズランドでは第5回目となる「キッズフェスタ」が開催された。心配された雨が早朝に上がると、昼前には太陽が顔を出し、周辺の木立の青葉と刈りそろえられたサッカー場の芝生が美しく輝いた。その下で、500人以上もの少年少女がさまざまなアトラクションやゲームを楽しみ、歓声と笑顔であふれた。
14万平方メートルのレッズランドといっても、その広さは、217平方キロのさいたま市全体の1550分の1にも満たない。しかしそこから発信される「スポーツで、幸せな地域に」というムーブメントとメッセージは、確実にホームタウンをより豊かなものにしている。
文=大住 良之(サッカージャーナリスト)