シンガポールにかつて存在した「カラン飛行場」。高層ビル群の中に、今も当時の旅客ターミナルビルがひっそりと残されています。その空港の跡地を実際に見てきました。
高層ビルに囲まれてひっそりと
日本の空港では、レトロな旅客ターミナルビルを見かける機会は非常に少なくなりつつあります。羽田空港はおろか地方空港も拡張したり建て替えを重ねたりするからです。しかし、海外には空港そのものが移転したため、そのまま残された古いビルがあります。
高層ビル群を歩いていくと突然現れるその旅客ターミナルビルは、かつての航空旅行がプロペラ機によるゆっくりしたものだった時代を今に伝えているようです。
その古い旅客ターミナルビルは、シンガポールにある「カラン飛行場」跡地にあります。屋上に乗る管制塔を合わせても5階建てほどしかなく、今の国際空港の旅客ターミナルビルより、はるかに小さい姿をしています。
直線を活かし左右対称の外観は、20世紀初頭に流行した「アール・デコ」調に近いものです。近くの巨大な国立競技場に圧倒され“埋もれた”感もある一方で、レトロな外観ゆえに目が離せない存在でもあります。
ターミナル近くには門も残されていますが、こちらも多数の車両が24時間出入りする現在の国際空港と全く違う、「お屋敷の門」といった風情があります。高層ビルに囲まれた今の街並みからは想像できませんが、実際にかつては、この旅客ターミナルビルの前には旅客機が並んでいたのです。
「大英帝国で最も優れた空港」の数奇な歴史
カラン飛行場がつくられたのは1937年。この頃の国際線は海を長い滑走路として使う水上飛行艇が就航していました。約120ヘクタールを埋め立てた飛行場の目の前に海があるのも、飛行艇の発着が前提だったためでした。
また、旅客ターミナルビルの前に滑走路や誘導路と思われる設備が写った古い写真こそあるものの、それは後年に作られたもので、もともとは特定の方向へ滑走路を設けずどの方向にも向かって飛び立てるよう、ドーム型の敷地がビルの前に広がっていたと語り継がれています。
カラン飛行場が出来た当時、シンガポールはイギリスの植民地でした。それもあり「大英帝国で最も優れた空港」と評判を呼んでいました。その歴史が変わったのが第2次世界大戦の旧日本軍による攻撃でした。
「難攻不落」とされたシンガポールを日本軍は陥落させ占領しました。この時、カラン飛行場は無傷で残されました。これはシンガポール内のほかの飛行場は、日本軍の砲撃によりイギリス空軍が放棄せざるを得なかったのに対し、カラン飛行場は攻撃される前に戦闘が終結したためです。
無傷のまま日本の占領下となったカラン飛行場はそのまま日本軍に使われ、1945年の日本の降伏後は元の飛行場に戻ります。そして1955年に新たにパヤレバー空港が完成したことでカラン飛行場は「シンガポールの空の玄関口」としての役目を終えました。なお、その後カラン飛行場・パヤレバー空港の役割は、1981年にオープンしたチャンギ国際空港に引き継がれています。
カラン飛行場の跡地はかつて「最も優れた空港」があったとは想像できなくなっています。しかし、今も建ち続ける旅客ターミナルビルは、そこだけ時間はゆったり流れているように感じられ、ほっこりした風情に心が休まる思いもします。飛行機好きだけでなく、レトロ建築巡りが趣味な人々には一見の価値があるでしょう。