日本海軍の最強戦闘機「紫電改」ってどんな機体? 81年ぶりに海中から引き揚げ 国内現存は2機に

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鹿児島県の阿久根市沖に沈んでいた旧日本海軍の局地戦闘機「紫電改」が1年ぶりに引き揚げられました。この「紫電改」とは、どのような航空機なのでしょうか。

大戦末期の絶望的な状況で善戦

 鹿児島県の阿久根市沖に沈んでいた旧日本海軍の局地戦闘機「紫電改」が2026年4月8日、81年ぶりに引き揚げられました。この「紫電改」とは、どのような航空機なのでしょうか。

「紫電改」は元々、基地の防空などを担当する「局地戦闘機」として、新明和工業の前身である川西航空機が開発・製造しました。

 旋回性を高める「自動空戦フラップ」や高性能エンジン「誉」を搭載し、当時としては先進的な技術を備えた機体だったことが特徴です。武装は主翼に20ミリ機銃4挺を搭載していました。

 元々は水上戦闘機として開発された「強風」からフロート(浮舟)などを取り去り、陸上機に改めた「紫電」を更に大幅に改良した機体で、第二次世界大戦中の1942年12月27日に初飛行しています。

 ベースとなった「紫電」は、原型といえる「強風」とそれほど機体構造を変えていなかったため、胴体中央部に主翼が取り付けられている中翼構造であり、陸上機として効率的な機体構造になっておらず、トラブルが多発していました。そのため、「紫電改」は胴体下部に主翼を設ける低翼構造に変更。機体も「紫電」よりスリム化し、量産性を考慮して部品点数を大幅に削減するなど、別ものと言えるほど手が加えられています。

 1万機以上が生産され、日本海軍を代表する戦闘機として知られる「零戦(零式艦上戦闘機)」と異なり、「紫電改」の生産機数は約400機にとどまっています。一方で「紫電改」のエンジン「誉」は約2000馬力の出力を実現し、約1000馬力の「零戦」を大きく上回っています。

「紫電改」の多くは愛媛県の松山基地を拠点とした第343海軍航空隊に集中配備され、西日本などに飛来した米軍機の迎撃に投入されました。アメリカ軍との戦力差が大きく開いた大戦末期の絶望的な戦局の中で善戦しています。

 日本軍が実戦に投入できた数少ない2000馬力級の戦闘機で、所定の性能を発揮できれば、当時アメリカ海軍が主力としていたF6F「ヘルキャット」やF4U「コルセア」といった機体にも対抗可能でした。

 日本海軍は、アメリカ海軍の主力戦闘機と互角の性能を持つ「紫電改」に望みをかけ、戦争末期には川西航空機だけでなく、三菱重工や愛知航空機、昭和飛行機、海軍直轄の工廠も製造に動員する大量生産計画を立てましたが、実現する前に終戦を迎えています。

「紫電改」は、今回の鹿児島県阿久根市沖に沈んでいた機体が引き揚げられるまで、世界で4機(国内には1機)しか現存していませんでした。国内の1機は1978年11月に愛南町・久良湾の海底で発見され、翌年7月に引き揚げられた機体で、現在は愛媛県南宇和郡愛南町にある「紫電改展示館」に展示されています。

 なお、今回引き揚げられた機体は、1945年4月21日にB-29を迎撃するため、鹿児島県の第一国分基地から出撃し、海面に不時着水した林喜重 大尉の機体です。