全国で講演「これからは恩返し」=防災、減災につなげるために―宮城県南三陸・前町長―東日本大震災15年

宇宙スタートアップ 上場企業も

 2025年11月まで宮城県南三陸町長を5期20年務めた佐藤仁さん(74)は、引退後、防災減災の重要性を伝えるため、各地で講演活動を行っている。「東日本大震災で全国からいただいた支援への恩返しだ」と語る。
 震災発生時、町の防災対策庁舎の屋上で、職員や住民と津波に巻き込まれた。50人以上いたとされるが、助かったのは佐藤さんを含めわずか11人。行方不明者を含め、町全体では831人が犠牲となった。
 夕闇が迫り、全身ずぶぬれで感覚がなくなるほどの寒さ。職員が持っていたライターで、流れ着いた木材に、辛うじて火を付けることができた。「生き残った者として町を再建しなければ」。この一夜が、その後14年半、「気持ちは折れても、気力は保て」と自らに言い聞かせ、走り続けられた原点だった。
 未曽有の大災害からの再建は「頂の見えない山を登っているようだった」。特に、「津波で命を失うことは二度とあってはならない」と決断した全住宅の高台移転は7年以上かかった。25年9月、復興事業が完了したとして、声を詰まらせながら「使命を果たした」と述べ、引退を表明した。
 「反省ばかりだった」と振り返る。その一つが、災害対策本部の会議メンバーに女性を入れていなかったこと。震災から数カ月たったころ、女性の被災者から支援物資に生理用品やサイズの合う下着がないという相談を受けた。「災害対策本部の会議も支援物資の管理も男性ばかりだったと気付いた。もし女性を入れていたら、もっと行き届いた支援になったはず」と説明する。
 引退後、町の伝承館「南三陸311メモリアル」の特別顧問に就任した。自身の反省や経験を、次の防災につなげてほしいと全国を飛び回る。
 「町の心のよりどころとして復興の基本に置いていた」と話すのは、震災の半年前に制定した町民憲章。海と山に囲まれた町の豊かさを、柔らかい言葉でうたう。憲章を具現化するように、復興事業では環境保全も重視し、水産養殖管理協議会(ASC)や森林管理協議会(FSC)などさまざまな国際的認証を受けた。「町民、産業団体が一体となって頑張ってくれた」と語る。
 そうした町の中心に、防災対策庁舎が、震災遺構として静かに建ち続けている。「この町で起きたことを知り、防災のための行動につなげてほしい。そして、手を合わせる場にしてほしい」と願う。 
〔写真説明〕取材に応じる宮城県南三陸町の佐藤仁前町長。左奥は旧防災対策庁舎=2025年12月22日、同町
〔写真説明〕取材に応じる宮城県南三陸町の佐藤仁前町長。右奥は旧防災対策庁舎=2025年12月22日、同町
〔写真説明〕取材に応じる宮城県南三陸町の佐藤仁前町長=2025年12月22日、同町
〔写真説明〕伝承館「南三陸311メモリアル」の職員らと言葉を交わす宮城県南三陸町の佐藤仁前町長=2025年12月22日、同町