変わり果てたふるさと、記憶鮮明=「プレーで活力を与えたい」―ラグビー武者大輔選手・東日本大震災15年

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 ラグビー・リーグワンの日本製鉄釜石シーウェイブスの武者大輔選手(35)には、ふるさとが変わり果て、同級生を亡くしたあの日の記憶が鮮明に残っている。「現実離れしていて言葉を失った」。故障で引退も覚悟した4年前、東日本大震災の被災地、岩手県釜石市のチームに移籍を決めた。「地元でプレーする姿をお世話になった人に最後に見せたい」と思ったからだ。
 東北地方が激しく揺れた2011年3月11日、法政大ラグビー部員だった武者選手は仙台市にいた。帰省した宮城県亘理町の実家から東京に向かっていたが「立っていられないほどだった」という。
 後に妻となる当時の交際相手の家に避難後、携帯電話を見て何が起きたか理解した。目に飛び込んだのは、祖父母が暮らし、自身も小学2年まで過ごした同県石巻市が津波にのまれる映像。同市には交際相手の両親も住んでいたが安否が分からず、「最悪の事態も覚悟した」と振り返る。
 翌12日、交際相手とともに自転車で、仙台市から約30キロ先の亘理町に向かった。開いている店を探して飲み物を買い、ひたすらペダルをこいだ。ようやく着いた実家に大きな被害はなく、胸をなで下ろした。
 避難所で2日間過ごし、石巻市に車で向かった。そこで見た光景は、何もかもがかつてと違っていた。津波に流され、小2まで住んでいた家は跡形もなかった。同級生や知人が亡くなったと、後に知った。祖父母や交際相手の家族は無事だったが、変わり果てた街の光景は今も忘れられないという。
 同年4月、実家から東京に戻った。「自分にできることは限られていた」。被災の爪痕が生々しい地元を離れる葛藤はあったが、周囲の後押しもあり、ラグビーに専念する道を選んだ。
 その後、プロ選手として活躍したが19年、股関節を骨折。日常生活もままならないほどの大けがだった。引退が頭をよぎった時に思い出したのは、あの日の光景や地元の人たち。「最後は東北でプレーしたい」との思いがわき上がり、22年、釜石シーウェイブスへ移籍した。
 チームは3月7日、復興のシンボルである釜石市のスタジアムで、復興の感謝と震災の記憶を次世代につなぐ祈念試合を行う。「特別なことができるわけではない」と謙遜する武者選手だが、「全力でプレーし、明日を頑張る活力を与えたい」と思いを語った。 
〔写真説明〕取材に応じる日本製鉄釜石の武者大輔選手=1月9日、岩手県釜石市
〔写真説明〕練習する日本製鉄釜石の武者大輔選手=1月9日、岩手県釜石市