導入が進んでいる鉄道の自動運転ですが、実は1960年代からその技術は完成されていました。当時の技術は、どのようなものだったのでしょうか。
1960年代からあった鉄道の自動運転技術
JRや大手私鉄でATO(自動列車運転装置)による自動運転の導入が進んでいます。JR東日本は2021年3月に常磐線各駅停車で同社初となるATO運転を開始し、2025年3月からワンマン運転を開始しました。山手線と京浜東北線には高性能ATOを導入予定で、将来は運転士が乗務しない「ドライバレス運転」を目指しています。
予測不能の公道上を走る自動車の自動運転はハードルが高く、実用的な開発が本格的に始まったのは2010年代のことです。一方、専用空間をレールに沿って走行する鉄道の自動運転は比較的容易であり、一応の技術は1960年代に完成しています。
例えば地下鉄日比谷線は、開業翌年の1962(昭和37)年に三菱電機と共同で自動運転装置の公開試運転を実施し、1964(昭和39)年には1年にわたり南千住~人形町駅間で営業運転による試験を行いました。
このATOは、連続的に速度照査を行う日本初のATC(自動列車制御装置)をベースに開発されました。車上の制御装置が信号の範囲内でノッチとブレーキを操作して速度をコントロールし、駅では特定の地点を通過するとATOが停止パターンを発生する仕組みです。
あまり知られていませんが、名古屋市営地下鉄東山線は日比谷線より早い1960(昭和35)年10月にATO試験を開始し、1963(昭和38)年1月に営業列車を用いた試験を行っていました。驚くべきは、日比谷線が最新のATCだったのに対し、当時の東山線は古典的な打子式ATS(自動列車停止装置)だったことです(2004年にATC化)。
名古屋市交通局『市営五十年史』は、東山線の試験に言及しつつも仕組みまでは記されていませんが、その詳細は日本サイバネティクス協議会が1966(昭和41)年に発表した『列車自動運転に関する研究報告書』に記されています。
東山線のATOは日立製作所が開発した「地上プログラム方式」です。速度制御の考え方は日比谷線と同様で、「力行オンレベルより速度が低ければノッチを入れて力行し、力行オフレベルに達すれば、ノッチを切れ」と「ブレーキオンレベル以上の速度ならば直ちにブレーキをかけて減速し、ブレーキオフレベルに達すれば解除せよ」の二つの命令で構成されています。
東山線の信号方式は「R」「Y」「G」の三位式で、「YY」「YG」現示も一部可能でした。地上装置はATS用地上子とATO用地上子を用いて、走行区間と信号現示に応じた4種類の速度データ(力行・ブレーキのオンレベル、オフレベル)を送信し、上記の命令に速度を代入します。なお到着時は駅手前の地上子からブレーキパターンを受信して停止します。
ATCの速度信号を利用する日比谷線では車上装置を小型化できましたが、速度信号のない東山線で全走行パターンを車上で生成すると、当時の技術では車上装置が大型かつ高価になりすぎました。そこで、走行パターンが単純な地下鉄は地上にプログラムを持たせた方が合理的という発想に至ったのです。
数十年前の構想が実用化
一方、国鉄技術研究所は「ATS-S形」をベースとした車上式ATO「プログラム列車制御装置(PTC=Programmed train control)」の研究をしていました(信号や進路など地上設備を制御するPTCとは無関係)。
運転の基準となる距離、速度、時間のプログラムは、「さん孔テープ」と呼ばれる紙テープに穴を空けた記録媒体に入力し、車上装置にセットしました。ATOはプログラムに追従して速度を調整しながら走行するため、連続速度照査を持つ疑似的ATCとしても機能しました。
利点は現行の信号設備をそのまま使えることで、「PTC」はATS-S形の地上子を読み取り、「R」現示の場合のみ赤信号の手前で停止するブレーキパターンを生成します。ATCは速度信号が下がるごとに段付きの減速をしますが、PTCは一段プレーキなので列車間隔を詰めることができます。
先進的アイデアながら当時の技術では課題が多く、モデル試験にとどまりましたが、数十年の時を経て、同じ発想から生まれたATOが実用化されました。それが2020年にJR九州香椎線に導入された、ATS-DKと車上データベース情報を利用したATOです。
このシステムは国鉄技術研究所の後身である鉄道総合技術研究所が1999(平成11)年度に研究を開始したものですが、一つの理想形として代々受け継がれていたのかもしれません。自動運転は1980年代以降、新交通システムや地下鉄を中心に普及しますが、その土台には1960年代の研究開発が確かに存在したのです。