2000年12月に宮沢みきおさん=当時(44)=一家が殺害された事件は、30日で発生から25年となる。発生当初から合わせて14年近く同事件の捜査に従事している警視庁捜査1課の有村恵一警部(53)は、今は亡き先輩刑事の教えを胸に「必ず解決する。犯人を検挙し責任を果たしたい」と決意の言葉を述べた。
1990年に入庁し、98年から成城署で勤務。事件発生の一報を聞いたのは、同署刑事課で指名手配中の窃盗犯の追跡捜査に当たっているさなかだった。
「一家4人が殺された。すぐ戻ってこい」。同僚から連絡を受けて急いで署に戻ると、すでに多くの捜査員でごったがえしていた。被害者の検視の手伝いや、次々に届く情報の整理。そんな慌ただしい中で、目に涙を浮かべながら4人の遺体に向き合う上司の姿を見て「凄惨(せいさん)な事件が起きたと実感した」と振り返る。
事件の第1発見者で、宮沢さんの妻泰子さん=当時(41)=の母親の聞き取りも担当。署を離れるまでの1年半、何度も足を運び話を聴いた。
その後、捜査1課へ異動となったが、以降、これまでに合わせて13年10カ月にわたってこの事件の捜査に携わってきた。
発生から時間がたち、捜査は難航しているが、心の支えとなっているのは、今は亡き先輩の言葉だ。
捜査本部で現場の中心を担う係長だった先輩は「一本気で、信念を持った人」だった。署に泊まり込み、夜遅くまで酒を飲みながら事件の話をしたり、時には車で夜通し6時間かけ、関係先の捜査に行ったりしたこともあった。捜査のイロハをたたき込まれたが、がんを患い、13年に志半ばで他界した。
亡くなる1週間前、ホスピスを訪れ捜査について相談すると、先輩は大好きだったたばこを吸いながら言った。「絶対この事件のホシ(犯人)は捕まる。自信を持ちなさい」
発生からまもなく25年。関係者の記憶が薄れるなど「時間の壁」を感じることもあるが、工夫を凝らし、前を向いて捜査に当たっている。
「なぜこの事件を起こしたのか、背景を明らかにしたい」。尊敬する先輩の教えを胸に、そう力を込めた。
〔写真説明〕取材に応じた警視庁捜査1課の有村恵一警部=23日、東京都千代田区