「相手の艦隊止めるため自軍の船沈めます」型破り作戦が実在! 実は有効?実際の成功例は

19世紀末から20世紀初頭にかけては、海の戦いは艦隊決戦により雌雄を決する方法が主流でした。しかし、それ以外にももうひとつ、有効な戦法が存在しました。

艦隊決戦以外で海の戦いを制すには?

 産業革命を境に軍艦は飛躍的な進化を遂げ、第二次世界大戦で核兵器が登場する以前には、戦艦が「戦略兵器」として扱われることもありました。こうした戦艦を中心とした艦隊に対し、「周辺を自由に航行させたくない」と考えた場合、19世紀末から20世紀初頭にかけては、海戦によって雌雄を決する方法が主流でした。しかし、それ以外にももうひとつ、有効な戦法が存在しました。

 それが、港の入り口に船を沈め、出入りを制限することで艦隊ごと動けなくする「閉塞作戦」です。

 艦隊戦の場合、自国の海軍が敵よりもはるかに優秀で、かつ数に勝っていたとしても、予想外の損害を被り、その後の行動に支障をきたす可能性があります。また、まもなく味方艦隊が到着し、自国艦隊の戦力が大幅に増強される見込みがある場合には、あえて艦隊戦を仕掛けず、要塞化された港湾に籠るという選択が取られることもありました。

 艦隊が停泊する多くの軍港は一部が要塞化されており、外敵に対応するため、岬などに砲台が設置されています。いかに強力な艦隊であっても、港に籠る艦隊を攻撃しようとして狭い港の入り口から侵入すれば、沿岸砲台などからの集中砲火を浴びることになり、ひとたまりもありません。

 敵にそのような戦術を取られた場合、攻める側はどのように対応すべきでしょうか。ここで重要なのは、戦闘の目的が、敵艦隊を「壊滅させること」ではなく、「無力化すること」にある、という点です。港湾内で動けないようにしてしまえば、艦艇は周辺地域への火力支援に限定された、いわば浮き砲台のような役割しか果たせません。ミサイル時代となった現在でも、射程こそ向上しているものの、動けず発射位置の特定が容易であるという点は変わりません。

 そこで考え出されたのが、港の入り口など、艦艇が通過できるスペースが限られている場所に自軍の船を沈め、敵の動きを封じてしまう閉塞作戦です。

船を沈めて閉じ込めろ! ただかなり難しい?

 もともと港の閉塞は、防衛的手段として古くから用いられてきました。例えば中世、勢力が大きく後退したビザンツ帝国では、首都コンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)を守るため、陸上の巨大な城壁では対応できない敵船団への備えとして、金角湾の入り口を鎖で閉塞し、湾内からの上陸を阻止していました。

 しかし近代に入り、燃料で動く金属製艦艇が登場して以降、攻める側が相手の動きを封じる目的で大規模に閉塞作戦を実施するケースが出てきます。その最初の例は、1898年の米西戦争におけるアメリカ海軍とスペイン海軍の戦いだといわれています。

 このときアメリカ海軍は、キューバのサンチャゴ港に籠ったスペイン艦隊に対し、夜陰に紛れて港内に侵入し、港の出入り口に給炭船「メリマック」号を自沈させることで、スペイン艦隊を閉じ込めようとしました。

 しかし、「メリマック」号は想定した角度で沈まず、港の閉塞は不十分なものとなり、結果としてスペイン艦隊の脱出を許してしまいます。これによりサンチャゴ・デ・キューバ海戦が勃発し、最終的には海戦によって雌雄が決せられ、アメリカが勝利しました。

 結局、最後は海戦によって明確な勝敗が決まりましたが、閉塞作戦により艦隊への補給が困難になったことや、増援の行動を遅らせた点など、一定の効果があったことは確認されています。当時は戦争のたびに各国が観戦武官を派遣しており、日本からも観戦武官が派遣されていました。

 そして、この作戦を参考にしたといわれているのが、日露戦争中の1904年2月から5月にかけて行われた旅順港封鎖作戦です。

 この作戦では、バルチック艦隊の到着を待ち、なかなか湾外に出てこないロシア海軍旅順艦隊を封じ込めるため、3回にわたり計21隻もの艦船を旅順港の入り口付近に自沈させました。しかし、旅順港の入り口は幅が200メートル以上あり、水深も十分だったため封鎖は困難で、作戦は失敗に終わります。

 結局、日本軍は陸上から旅順を攻略し、港湾機能そのものを無効化する作戦へと転換しました。最終的には成功するものの、映画『二百三高地』でも知られるように、史上初めて大量運用された機関銃の前に、日本軍は甚大な損害を被ることになります。

 その後、第一次世界大戦中には、ドイツ海軍の潜水艦(Uボート)を無力化するため、ベルギーの占領港湾でUボートの拠点となっていたゼーブルッヘおよびオーステンデを、イギリス海軍が同時に襲撃し、閉塞作戦を試みました。激しい反撃を受けながらも閉塞艦の自沈には成功しましたが、閉塞は不完全で、Uボートの行動を完全に止めることはできませんでした。

 このように、自国の船を沈めて港内の艦隊を無力化するという、一見画期的とも思える作戦は、幾度かの失敗を経て、次第に行われなくなっていきました。

 しかし時代を経た2014年、正式な戦争状態ではなかったものの、この閉塞作戦を復活させ、成功させた国がありました。ロシアです。

 クリミヤ半島の併合を進める過程で、ロシアは2014年3月9日、黒海艦隊を動かし、ウクライナ海軍基地のある黒海南部ドヌズラフ湾の入り口に、自国のカーラ型ミサイル巡洋艦「オチャーコフ」を自沈させました。これにより、湾内に停泊していたウクライナ海軍の艦艇6隻を封じ込めることに成功します。閉じ込められたウクライナ海軍は、反撃の機会を得ることなく降伏しました。

 沈められた巡洋艦は、排水量約8500トン、全長173mにも及ぶ大型艦であり、宣戦布告のない奇襲的行動であったとはいえ、このような大型艦の自沈に成功したのは驚きです。ほぼ理想的な形で成功した閉塞作戦だったと言えるでしょう。

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