高齢化、代替わりで存続模索=「若い被爆者」や2世ら―平和賞受賞1年・日本被団協

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞してから、10日で1年となった。核兵器を巡る情勢が厳しさを増す中、被爆者の平均年齢は86歳を超えた。どう活動を続けるか。日本被団協は模索を続ける。
 6月、定期総会で事務局長に選出された浜住治郎さん(79)は、就任後の記者会見で自身を「一番若い被爆者」と表した。事務局長は運動方針を考え、政府との交渉などに当たる。1956年の結成以来、母親のおなかの中で原爆に遭った「胎内被爆者」が就任したのは浜住さんが初めてだ。
 日本被団協は事務局長のほか、組織の顔として広島、長崎と関東地方から3人を代表委員に置いている。昨年12月、ノルウェーでの授賞式で「人々の死にざまは、人間の死とはとても言えなかった」と語った田中熙巳代表委員(93)が被爆したのは13歳の時だ。
 ほか2人の代表委員は被爆時、3歳と4歳。組織内で被爆の記憶が鮮明な世代はわずかとなり、代わって、胎内や幼少時に被爆した「若い被爆者」が、家族から聞いた体験を証言するなど活動の中心になりつつある。
 被爆2世も存在感を増し、日本被団協を構成する県組織では、2世が会長や運営を担うケースが出てきた。日本被団協被爆二世委員会の大村義則委員長(69)は、陸軍に所属した父が遺体処理のため長崎に派遣され、入市被爆。大村さんは30代で運動に参加し、多くの被爆者に「後を頼む」と託されてきた。
 被爆を50年間隠してきた父は約4年前に他界。大村さんは「人類史上、原爆の被害は大きな問題で、被団協の『二度と起こさせない』という運動は大事。たとえ被爆者がいなくなっても、運動を引き継いでいく」と話した。 
〔写真説明〕定期総会で就任した浜住治郎事務局長(右から2人目)や田中熙巳代表委員(左から3人目)ら日本被団協の役員=6月19日、東京都千代田区
〔写真説明〕日本被団協の運動に参加する被爆2世の大村義則さん=11月21日、東京・永田町