1981年に発売されたスズキのジェンマですが、その外見から「和製ベスパ」と呼ばれることもありました。ですが、世界的に高い評価を得ていました。
50ccのほか、80cc、90cc、125ccと排気量が細かく異なるジェンマが存在
1977年、ヤマハが発売したパッソルの大ヒットをきっかけに、1980年代以降の原付市場では、一大スクーターブームが巻き起こりました。1980年発売のホンダ・タクト、1983年発売のヤマハ・ジョグなどが抜きん出た人気を誇りましたが、「スズキは?」と言うと、1981年にジェンマを発売しました。
ジェンマはホンダ、ヤマハとは一線を画した本格的なスクーターモデルでしたが、どことなくイタリアのベスパに似ているような印象もあり、後には「和製ベスパ」と呼ばれることもありました。
初代ジェンマのフロントの足回りは、ベスパと同じ片持ち仕様。また、フルサイズのレッグシールドやホーンカバー、リアのエンジンカバーもデザインこそ違いますが、ベスパとよく似た構造でした。
確かにこれらを見れば「和製ベスパ」と呼ばれて当然なのですが、もちろんスズキがそれを認めることはなく、あくまでも「気品あふれるスタイルと高級感漂う本格派原付スクーター」としての発売でした。
同時代に販売されていたパッソルやタクトよりも確かに重厚なモデルだったこともあり、相応のヒットとなり、翌年1982年にはジェンマ125を発売しました。
このモデルこそまさしく、俳優・松田優作がドラマ『探偵物語』の劇中で乗っていた白いベスパ(P150X)によく似た1台でした。1987年に生産を終了したものの、当時の国産スクーターとしては最大の125ccの4サイクルモデルでした。一方で、1981年に発売されたジェンマ50とは、外見こそ共通していましたが、設計は異なるものでした。
また、前後しますが、1983年には2サイクルモデルのジェンマ80、1986年には同じく2サイクルモデルのジェンマ・クエスト90を発売。この細かい排気量設定は、スクーターブームの激しいシェア争いの中で、様々なニーズに呼応し、ジェンマシリーズを根強く浸透させたかったスズキの思惑を感じます。
さらに1986年には、ジェンマの50ccの正当な2代目モデルとして、ジェンマ・クエストが登場します。ベスパっぽい外観は控えめとなった一方、この時代の各社のスクーターが競い合っていた性能面を、強く高めるものとなりました。
具体的には最高出力6.5ps、最大トルク0.82kgmを実現し、Vベルト無断変速方式の採用でレスポンスを滑らかにしました。また、制動時のフロントの沈みを軽減させるスズキ独自のフロントフォーク機構、ANDFを採用するなど、走行の安定性に優れたモデルでした。
実は欧州で評価を得たジェンマ
ところで、ジェンマは国内でこそ「和製ベスパ」と揶揄されることがありましたが、世界的には高い評価を得ていました。
ジェンマの50ccモデル、ジェンマ80、ジェンマ125は、ベスパがよく浸透していたイギリスなどへRoadieの名で輸出。一時期はベスパと並んで走っていました。
また、スズキと資本提携していたオーストリアのメーカーが、同じくジェンマの50ccモデル、ジェンマ80、ジェンマ125をPuch Lidoの名前でオーストリア、西ドイツで販売した時期もありました。
このように、見た目こそベスパっぽくとも、その機能性によって海外でも認められたのがジェンマだったというわけです。
スズキにとって「スクーターの代表作」でもあったジェンマは、初代登場から10年後の1991年にシリーズモデルは全て生産終了になります。ですが、2008年発売のジェンマUL250によってその冠が復活します。かつてのジェンマとの設計の関連はないものの、当時のマキシスクーター市場では相応の存在感を放ちました。
複数のマイナーチェンジや、2010年のリコール騒ぎなどがあり、結果的には2013年までの5年間で生産終了し、ジェンマの名は再び姿を消すことになりました。
顧みれば、1980年代初頭のホンダ・ヤマハの間での激しいシェア争いだった「HY戦争」の陰で、スズキは独自の地道な開発を続けました。特にスクーター市場でシェアに食い込もうとし、ジェンマは国内外で相応の評価を得たといえます。
見た目こそ「和製ベスパ」ともいえるジェンマですが、その中身はスズキの実直な開発力が投影され続けたシリーズです。今改めて評価されるべき、れっきとした「日本製スクーター」のように思います。
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