トッテナム・ホットスパー(スパーズ)に所属していた元U-19イングランド代表GKアルフィー・ホワイトマンが、27歳で現役を引退した。イギリスメディア『アスレティック』が伝えた。
10歳でスパーズの下部組織に入団したホワイトマンは、2019年にトップチーム昇格を果たし、翌年11月にヨーロッパリーグで公式戦デビューを飾った。2021年と2022年はスウェーデンのデーゲルフォルシュに2年間期限付き移籍し、2023年1月からスパーズに復帰した。しかし、元フランス代表GKウーゴ・ロリスやイタリア代表GKグリエルモ・ヴィカーリオらの壁は高かった。第3GKや第4GKとしてベンチ入りも果たせないことが多く、結局トップチームでの出場は1試合のみだった。
ホワイトマンは今夏に契約満了でスパーズを退団後にフリートランスファーとなり、チャンピオンシップ(イングランド2部)クラスのクラブからも具体的なオファーを受けたようだが、新たなクラブと契約を結ぶことはなかった。そして、現役サッカー選手としてのキャリアに終止符を打つと、セカンドキャリアを歩み始めた。新進の写真家兼映画監督としてだ。
『アスレティック』の取材で半生を振り返ったホワイトマンは、早い段階でサッカー選手としてのキャリアに疑問を抱き、徐々に外の世界へ惹かれていったことを認めた。
「10歳でトッテナムと契約した。16歳で学校を辞め、そのままプロのサッカー選手としての生活に入った。17か18歳の頃、下宿生活を送っていた頃、心の奥底で『これでいいのか?』という思いが湧いてきた。ミニバスに乗り込み、練習に行き、スポーツ科学のBTEC(経済学のAレベルも取得)を学び、帰宅してビデオゲームをする日々。『ああ、自分はここで幸せじゃない』と、かなり若い頃から気づいていたんだ。
「この国のサッカーは他の世界から完全に隔絶されている。練習に行って、家に帰る。それだけだ。多分、私はいつも少し違うと感じていたんだ。でも18歳の時、モデルだった元カノと出会った。彼女は少し年上で、親友が映画監督だった。それが人生の可能性を開かせてくれたんだ。だから18、19歳と少しずつ大人になるにつれ、新しい人々と出会い、自分自身についてもっと理解し、サッカーという閉ざされた世界の現実を認識し始めたんだ」
スパーズに所属していた時期、愛するクラブで正GKの座を勝ち取ることが難しかったホワイトマンは自由時間に別の情熱にエネルギーを注いだ。演技のレッスンを受け、写真家としての腕を磨き、音楽に関する月1回のラジオ番組をホストした。新たな人々と交流し、クリエイティブ業界で友人を作っていった。休みの日には、プロデューサーや監督、写真家から撮影現場のランナーとして手伝いを依頼されたという。
「サッカー選手としてのキャリアは、たとえ成功しても短いものだと分かっていたし、この世界に残りたくなかった。経験を得て、自分が興味を持つ分野について積極的に学ぶことが目的だった。でも何より、その環境が楽しかったんだ。自分が仕事として楽しんでいることを生業とする人々に囲まれていた。彼らは何かを作り出していた。本当に刺激的だった」
デーゲルフォルシュに期限付き移籍中はスウェーデン1部リーグで34試合に出場とピッチ上で充実した日々を送った。一方プライベートでは、森の中の小さな小屋で暮らし、アートを通じて「内省の時」を過ごした。
そんなホワイトマンはスパーズに復帰後、定位置争いに燃え、2023年夏に2年間の新契約を結んだが、同時期のプレシーズンマッチで足首を負傷してしまう。「突然最悪の状況に陥った。でもリハビリ中は毎日必死に復帰を目指した。ようやく戻れたものの、結局スタンドで観戦するだけだった。努力を重ねても試合に出られないのは本当に辛かった」と控えGKとして過ごした日々の葛藤を振り返る。
「トッテナムには素晴らしいトレーニング施設と最高の設備があるし、最高の選手たちと練習できた。でも満たされなかった。プレッシャーのかかる試合に出たいし、成長を感じたいんだ。出場機会がなければ、それは非常に難しい。むしろ逆行しているような感覚だ」
2024年夏にはレンタル移籍をスパーズの上層部に志願したが、欧州サッカー連盟(UEFA)の規定で自クラブ育成の選手が必要だった同クラブは、ホワイトマンの移籍を認めず。この束縛に「苛立たしさ」を感じたホワイトマンは、1年後にヨーロッパリーグの優勝パレードで地元を巡ったのち、契約満了で約16年在籍したスパーズを離れた。その後にリーグ・ワン(3部)と2部のクラブでトライアルを受けたが、「並行して進めてきた別の事業があり、そちらの方が刺激的だった。率直に言えば、他の道に幸せを見出した」と、27歳でグローブを外す決断を下した。
「行き着いたのは、行きたくないクラブに行くよりは、自分の意思でこの道に終止符を打つという選択だった。 若い頃は『下位リーグでプレーしたくない』と言い続けてきた。常に最高峰を目指していた。そうでなければ別の道を選ぶと。だから未知の世界へ踏み出したんだ。何が起きるかわからない。人生を完全に自分でコントロールしている。それは本当にワクワクするし、本当に怖いことだ」
決断をエージェントに伝えた数日後にはナイキの撮影現場に立つと、ノルウェーとウクライナで友人の長編ドキュメンタリー制作を支援。その合間を縫って業界関係者とコネクションを作っていった。さらに制作した短編映画が批評家から高い評価を得ると、その数週間後、ロンドンとロサンゼルスに拠点を置くグローバル制作会社「Somesuch」とプロの映画・CM監督として契約を結んだ。
「写真関連の企画案や短編映画のアイデアもいくつか持っている。まずは短編映画をいくつか制作し、いずれは長編映画に挑戦したいと考えている。ただし厳密な計画はない。自由に決められる。ただ現場に立ち、才能ある撮影監督や撮影責任者、プロデューサーたちと仕事し、新たな人々と出会いたい。学ぶべきことは山ほどある」
そう意気込んだホワイトマンは、来夏に北米で開催されるFIFAワールドカップを題材にした映画の構想も持っているという。
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