“+35”から882日 西郷真央がメジャー制覇を成し遂げるまで【現地記者コラム】

筆者が初めてゴルフトーナメントを取材したのが、2022年「ダイキンオーキッドレディス」だった。そこで初優勝を挙げたのは西郷真央。統合となった前シーズン(20-21年)でトップ10入り21回、2位が7回だった“シルバーコレクター”が、ついに頂点の座をつかんだ。
ダイキンから10戦5勝の快進撃。その後も結果を積み重ね、今回の「シェブロン選手権」でのメジャー制覇に至るまで、順風満帆に進んできた――ように見えるかもしれない。だが西郷といえば、2年半前の屈辱的な大不振を思い出す人も少なくないだろう。

22年11月の最終戦「JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」。当時メルセデス・ランキング2位だった西郷は、史上最年少で年間女王を決めていた山下美夢有との最終組に入った。だが、初日にまさかの「83」。スタート第1組になった2日目以降も「83」「76」「81」と崩れ、トータル35オーバーで最下位に。優勝した山下とは、日本ツアーワーストとなる50打差をつけられた。

ドライバーの不振が原因だった。秋口からショットの異変を口にするようになり、それが深刻化した。第2ラウンド以降、ドライバーを握ったのは582ヤードの2番パー5だけ。それ以外のティショットは3番ウッドなどを使ったが、方向性が安定せず左右に散った。それでも最後まで完走し、ドライバーは最後までバッグから抜かなかった。

「正直、ティショットに恐怖がある。一回クラブを握らない時間を作ってから、リセットして、ゼロから積み上げる気持ちでやりたい。もともとショットは曲がる方じゃなかったので…。オフに入れて良かったな、というのはあります」

そのちょうど1年後、西郷は米アラバマ州で行われたQシリーズ(米最終予選会)を2位で突破し、米国女子ツアーの出場権を手にした。「周りからは早かったと思われたかもしれないけど、自分の中ではすごく長く感じた。死に物狂いでたくさん練習して、それが大事なところで結果につながりました」。23年は右肩上がりに復調し、自らの手で世界への道を切り開いた。

米1年目だった24年には、7度のトップ10入りを果たした。1990年の小林浩美以来となる、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人賞)を戴冠。トロフィーを掲げ、笑顔を輝かせた。「尊敬する先輩たちでさえ成し遂げられなかった賞。自分なんかが…とは思うけど、目標としていたものを獲得できて良かった」。そして25年4月、ツアー初優勝をメジャーで飾った。

「夢にまで見たメジャータイトルを、初優勝で実現させることができて本当にうれしい。LPGAの2年目にして優勝できた。きょうを逃していたら、次にチャンスが来ても取りこぼしていた可能性もあった。勝つ経験をすることによって、今後の自信にもつながる。勝ち切れて良かった」

シェブロン選手権は西郷にとって、思い入れの深い舞台でもある。“+35”を叩いた大不振から、初めて出場した海外メジャーが2023年のこの大会だった。池が絡むなど、ティショットが重要になるこのコースでドライバーを振り、予選を通過した。

「ティショットにずっと不安がありながら、この大会に挑んだ。予選通過できたことで、そこから自信を持って振れるようになった。そういうきっかけを得た大会で優勝することができて、すごくうれしい」

当時、西郷の不振を巡っては『イップスだろう』とささやかれた。現地で取材していた筆者も、決して口にはしなかったが、内心そう感じていた。

シェブロンでのフェアウェイキープ率は87.5%(49/56)。大不振から882日。そこには血のにじむような努力があった。(文・笠井あかり)

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