
1952年4月15日、アメリカの戦略爆撃の象徴ともいえるB-52「ストラトフォートレス」が初飛行しました。そして同機の運用開始は1955年、今年で70年を迎えますが、未だに現役を退く気配はありません。
100年間運用されることがほぼ確定している爆撃機
1952年4月15日、アメリカの戦略爆撃の象徴ともいえるB-52「ストラトフォートレス」が初飛行しました。同機の運用開始は1955年。そこから今年で70年を迎えますが、未だに現役を退く気配はありません。エンジンを換装してさらに運用期間を延ばし、100年を超えて飛ぶ爆撃機となるのがほぼ確実となっています。なぜこの機は、そこまで“長寿”なのでしょうか。
要因のひとつには、堅牢かつ柔軟性の高い作りだったことがあげられます。同機は元々、高高度、長距離戦略爆撃機として設計されていますが、製造元のボーイングが特許を取り、後のジェット旅客機のスタンダードにもなる主翼下パイロン懸架方式が採用されています。
この設計のため、機体内にエンジンを搭載したほかのアメリカ空軍爆撃機とは違い、エンジン換装が容易で、初期型に搭載したプラット・アンド・ホイットニー(P&W)製ターボジェットエンジンが旧式化した後も、同じ会社のものながら、より飛行効率の良い「ターボファンエンジン」に換装することで、燃費が向上し、航続距離の延長にも成功しました。
100年運用する計画に関しても、現役機であるB-52Hが、ロールスロイス製の新しいターボファンエンジンへの換装が可能であるということが理由のひとつになっています。このように柔軟に対応できるのは、奇抜な技術を極力盛り込まず、堅実に開発した結果でもあります。
またパイロン懸架方式の場合、主翼に架かる揚力の負担を軽減するのにも役立ち、同機がトラブルの少ない堅牢な設計である部分にも関係しています。さらに、開発当時はアメリカとソビエト連邦(ソ連)の冷戦のただ中にあったということも、同機が長寿である要因のひとつ。各タイプ合わせて744機と生産数が多かったため、例えば退役した機体から損傷や劣化が軽微な部品の供給を受けることも可能です。
時代によって変わる戦場の要望に常に応えた機体
そしてB-52は、なんといってもその時代ごとの戦場の変化に対応できる搭載容量の高さがあります。同機は元々、核を使うような有事が発生した際、ソ連及びその衛星国家を、開戦と同時に核攻撃するための戦略爆撃機でした。冷戦で最も核戦争の脅威が高まった時代は常に空中待機のB-52が飛んでいるほどでした。いざ核戦争が始まれば搭載した、多数の戦術核を用いてソ連の拠点を核攻撃するプランです。その爆弾搭載量は脅威の20t。この搭載量を積んだ編隊がソ連領内に核攻撃などを加える計画でした。
その後、核ミサイル技術の進歩のほか、ある程度ソ連との対話による歩み寄りがあったことも影響し、核戦争のリスクが軽減されます。
すると、同機の搭載容量の高さが注目され、通常の爆撃機としても運用することに。1965年に行われたビッグベリー計画での改修によりB-52Dはその爆弾搭載量を最大31tまで搭載できるようになりました。これだけの容量の爆弾を持ち込める爆撃機は世界中探してもB-52しかありません。
さらに時代が進むと今度はその容量と、核ミサイルを搭載していた爆弾倉を活かし、巡航ミサイルの空中発射プラットホームとしても活用されることになります。航空優位を取り、空からの支援も受けながら地上作戦を進めるアメリカ軍にとっては、多種多様な爆弾やミサイルを搭載できるB-52の代わりに足る機体が、2025年現在でも出ていないのです。
それは同機以降に開発された爆撃機がある意味で証明しています。速度に優れるもののスペックが過剰なB-1や、ステルス能力は高いものの高額な運用コストと爆弾搭載量の点で劣るB-2よりも、B-52はるか昔に開発された爆撃機であるにもかかわらず、この2種の爆撃機のように退役も決まらず、未だに現役でいるのです。今やB-52は親・子・孫だけではなく、ひ孫も追加した親子4代でのる軍用機になりつつあります。