「原子力潜水艦が爆発!」あわや大西洋が死の海に 多くの乗組員を救った“決断”がお咎めナシになったワケとは

1986年10月、ソ連の原子力潜水艦K-219が起こした事故は、原子炉のメルトダウンによって、大西洋を「死の海」にしかねないほどの大事故となりました。それを防いだのは艦長の苦渋の決断と、船員の勇気でした。

逃げ場のない潜水艦内で爆発事故が発生!乗組員はどうした?

 日本では、最新鋭の潜水艦は海上航行中はディーゼルエンジン、潜航中はリチウムイオン電池を使用していますが、世界のほかの海軍では、半永久的に潜航していられるなどの利点などから、原子炉が搭載された原子力潜水艦が使われているケースも多いです。

 しかし、有事の際に核攻撃を行うため多数の原子力潜水艦が海中に潜伏していた冷戦時代には、事故が何件か起きており、アメリカで2隻、ソビエト連邦で4隻の原子力潜水艦が失われています。なかでも、1986年10月、ソ連の原子力潜水艦K-219が起こした事故は原子炉のメルトダウンによってあわや、大西洋を「死の海」にしかねないほどの大事故となりました。 1986年10月3日、西大西洋、バミューダ諸島沖で哨戒活動を行っていたソビエトの原子力潜水艦K-219で、6番のミサイル発射管に浸水が確認されました。 海水がミサイルの燃料と反応し、有毒ガスが発生したということで、イーゴリ・ブリタノフ艦長は全艦事故警報を発令し艦の浮上を開始、乗組員に対し1分以内に全区画の密閉閉鎖を含む初期損害制御対応の実施を命じました。ただミサイル担当員はミサイル発射区画に残り、作業を続けます。 K-219には複数の核弾頭が搭載されており、彼らは残ったミサイルの海洋投棄を試みたのです。しかし、その作業中に爆発が起き、3名のミサイル担当員が命を落としました。なんらかの理由により流入した海水が、ミサイルの液体燃料の残留物と化学反応を起こしたことが原因とみられています。 爆発によりさらに海水が流入し、これ以上の航行は危険であると判断された潜水艦は、2基の原子炉を停止させるため緊急浮上しました。このときすでに、原子炉は故障、冷却水の水位は下がっており、メルトダウンの危険もある状態でした。艦が沈むだけではなく、汚染物質を大西洋にばら撒いてしまう危険性すらあったのです。 原子炉は既に、機械操作では停止させることができなくなっており、誰かが原子炉内に入って作業する必要がありました。そこで艦長は、苦渋の決断として、原子炉制御士官のニコライ・ベリコフと、その部下である下士官のセルゲイ・プレミニンのふたりへ、稼働中の原子炉内へ突入を命じました。 彼らは、決死の覚悟で原子炉内に向かい、最初はベリコフが突入し途中まで作業をしますが、原子炉を停止させる前に酸欠に陥り、プレミニンと交代。プレミニンは、原子炉の停止を成功させますが、火災による圧力変化により、ドアを開けることができなくなり、有毒ガスにより命を落としました。

本国命令を無視し総員退艦を決断

 この時点でK-219は完全に航行能力を失っていましたが、近海を航行していたソ連の貨物船を曳航船として、本国に帰還しようと考えられていましたが、既に浸水がひどい状況で有毒ガスも艦内に充満しつつあり、難しい状態となっていました。 しかし、そうした状況でありながら本国からの指令は、「艦を修復し哨戒活動を継続せよ」という冷酷なものでした。たしかに、事故を起こした場所はアメリカに近く、ソ連としてはそんな場所で沈没されては非常に困った事態になります。失態を世界にさらすことのみならず、アメリカに発見されて技術の漏洩が起こる可能性もあり、搭載した核兵器一式が海の藻屑となることも避けたい事態でした。 艦がもう持たない状況であることは、現場のブリタノフ艦長から見れば明らかでした。そこで艦長は、艦内全ての区画に有毒ガスが侵入したことを理由に、本国の命令を無視して、総員退艦を命令。生存する乗員を曳航船へ退避させました。本国からは乗員を潜水艦へ戻し、職務に復帰せよと命令が届き、さらに航空機から復旧のための資材などが投下されましたが、投下物の多くは破損し、潜水艦で受け取ることはできませんでした。 沈みかけた艦に残っていたブリタノフ艦長も乗組員が曳航船に退避を終えると、もはやこれまでとゴムボートに飛び乗りこみました。既に、騒ぎを聞きつけ周辺にはアメリカ軍の艦艇が集結しており、K-219は、最終的に事故から3日後の1986年10月6日に深海約6000mへと沈んでいったのです。 艦長はその後、職務怠慢、反逆の罪などにより訴追、極刑となることが予想されていました。しかし、軍法会議に向けて待機させられていた1987年5月、モスクワの中心部、赤の広場に西側のセスナ機が着陸するという大事件が起き、ソビエト軍は大混乱に陥ります。

 その責任を問われ国防相が解任されると、新たな国防相は「K-219の艦長の行動は正しかった」として訴追を取り下げたため、彼は命拾いすることになりました。 なおソビエトは、この事故の発端となった爆発はアメリカの潜水艦「オーガスタ」との衝突により生じた、と主張していますが、アメリカ政府は現在も否定し続けています。

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