ダンロップフェニックス史上初のアマチュア優勝・杉浦悠太は、大谷翔平と同じ右投げ左打ちだった

松山英樹やブルックス・ケプカ(米国)が出場した昨年の「ダンロップフェニックス」で、勝利の栄冠を勝ち取ったのは日大ゴルフ部4年生のアマチュア・杉浦悠太だった。優勝後、プロ宣言をした新星はどのようにゴルフと向き合ってきたのか。25日発売のゴルフ雑誌ALBA885号でインタビューに答えている。
ゴルフは4歳からスタート。父・博倫さんのクラブを振って遊んでいるうちに、杉浦はゴルフにハマっていったという。その後、楽しそうにボールを打つ悠太少年を見て、博倫さんが自宅の庭に鳥カゴを設置。そのおかげもあって、ますますのめり込んでいったそうだ。
 
ただ、その後はゴルフ一筋というわけではなかった。小学校に入学すると同時に野球チームにも所属。平日はゴルフの練習、土・日曜日は朝9時から午後5時まで野球の練習や試合で汗を流し、そのあと自宅でゴルフボールを打つという日々を送っていたという。
 
「ゴルフも野球も“やらされる”というのではなく、“楽しいからやる”という感じでした」
 
ちなみに野球では、大谷翔平選手同様、右投げ左打ちでマウンドにも上がっていた。左打ちは博倫さんに勧められたそうだが、スイングバランスを整えるのに役立った。
 
「それと、野球をやったことで瞬発系の筋肉が鍛えられたのも良かったと思います」
 
中学に進学すると、ゴルフ1本に絞った。「野球も楽しかったけど、“上手くなりたい”という気持ちが強かったのがゴルフだったので、ゴルフを選びました」と振り返る。
 
大きく伸びたのは福井工大福井高校時代。高1のときの「日本ジュニア」(2017年)で2位、高2のときの「日本ジュニア」(18年)、「全国高等学校ゴルフ選手権春季大会」(19年)で優勝を飾った。
 
「練習量が大幅に増えたのが伸びた理由だと思いますが、厳しいトレーニングも好成績につながったと思います。単調な練習も、みんなと一緒だから頑張れました」
 
高校卒業後、日本大学に進学しゴルフ部に入部。大学2年時に「日本学生」で3位に入ったが、その後は低迷が続いた。
 
「プロで優勝する選手はみんな獲っていたので“全国”のタイトルが必要だと思って狙っていたのですが、届きませんでした」
 
しかし、最終学年で大きなタイトルを手にした。ABEMAツアー「ダンロップフェニックストーナメントチャレンジ in ふくしま」で下部ツアー史上8人目のアマチュア優勝を飾ったのだ。
 
「この優勝は自信になりました。下部ツアーでも優勝できる実力があるんだと実感しました」
 
その優勝の資格で出場した「ダンロップフェニックス」でも勝利しプロ宣言。これまでもゴルフ中心の生活だったが、今年はさらに忙しくなるのは間違いない。そんな杉浦にとってゴルフ以外で唯一熱が入るのは、地元・中日ドラゴンズの応援。
 
「父も中日ファン。ここ数年低迷していますが、何とか頑張って欲しいですね。昔は落合監督のときは応援に行っていました」
 
将来の夢はマスターズでの優勝。その夢に近づくためにも、辰年の今年、ドラゴンズとともに“昇竜”をかなえたい。(文・真鍋雅彦)

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