震災ですべてを失い、還暦前にプロになった古市忠夫 83歳で68歳以上の日本一決定戦へ

<日本プロゴルフグランド・ゴールドシニア選手権大会 初日◇29日◇南紀白浜ゴルフ倶楽部(和歌山県)◇グランド:6724ヤード・パー72/ゴールド:6277ヤード・パー72>
 
きょうから和歌山県の南紀白浜ゴルフ倶楽部を舞台に2日間競技で「日本プロゴルフグランド・ゴールドシニア選手権大会」が開催。グランドの部は60歳以上(1963年12月30日までの出生者)、ゴールドの部は68歳以上(1955年12月31日までの出生者)の日本一を決める戦いとなる。
ゴールドの部の出場選手には室田淳(68歳)、友利勝良(68歳)、飯合肇(69歳)、尾崎健夫(69歳)、高橋勝成(73歳)といったレギュラーツアーから活躍してきたそうそうたるメンバーが名を連ねる。そんな大会に唯一の80代で古市忠夫が出場する。古市は今月22日に83歳の誕生日を迎えたばかり。今年5月にくまもと阿蘇カントリークラブ 湯の谷コースで行われた「関西プロゴルフゴールドシニア選手権」を10位(有資格者を除く13位まで)で突破して、今大会の出場権を掴んだ。

兵庫県神戸市出身の古市忠夫と聞くと、2006年に赤井英和が主演、映画化された『ありがとう』を思い出す人もいるかもしれない。1995年、古市が54歳のときに阪神・淡路大震災に遭い、自宅と経営していたカメラ店が全焼した。それからプロゴルファーを目指し、59歳でPGAプロテストに合格するまでの軌跡が映画では描かれている。

震災で家と家財道具のすべてを失った古市だったが、幸いにも古市が止めていた立体駐車場の一部は被害を免れ、車と中に入れたゴルフバッグだけが残った。「車上荒らしに4回遭っているから、ゴルフ道具は車に入れたままにしない主義だったのが、たまたま入れていたし、駐車場も20数年入れていたところを、たまたま震災の前の月に別の駐車場に移った。あとから考えたらものすごい偶然が2つ重なっている」。古市は運命に導かれるように、ゴルフで生きていくことを決めた。

97年、57歳のときにシニアの認定プロテスト(2005年に廃止)を突破して、シニアツアーに参戦するようになり、2000年にはPGAプロテストにも合格した。プロ生活はもう25年を超えた。プロゴルファーとしての初任給は68万3000円。「その年にローンを抱えて家が建ったんです。お金がものすごくいる時に天が68万3000円を恵んでくれた」と話す。

震災が起こった日から町の復興に尽力してきた。今でも「通学路の旗を振ったり、公民館の便所掃除をしたり」と、地域と密接に関わりながら生活している。

ゴルフに行く頻度は「週一回」、ドライバーの飛距離は「210ヤードくらい」。そんな83歳に飛ばしの秘訣を聞いてみた。「まず飛ばそうと思うことやな。思う心が飛ばすんや。技術や体力が飛ばすのではない。飛ばそうとする心があるか、ないかによって飛距離は変わる。ぼやきや泣き言をいう人は、なんぼ体力があっても、なんぼいい道具があっても、なんぼいいスイングをしても飛ばんな。“感謝力”が飛ばすんや」と、心技体の『心』が大事と説く。

次に体力維持について聞くと「歯を磨く。歯が悪い人は健康ではない。長生きできない。俺は90歳、100歳で輝きたい」と、白い歯を見せてニヤリと笑う。そういえば、昼食後にお願いしたこのインタビューの前、古市は「ちょっと歯を磨くから待っとって」と、トイレに小走りにかけていった。その後ろ姿は、とても83歳には見えない。関西ゴールドでは「76」を連発して、年齢と同じかそれ以下で回るエージシュートを達成した古市。日本一を決める今大会でも、おそらく2日間ともエージシュートを出してくるだろう。(文・下村耕平)

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