「日本人の心にはより平和がある」 ベン・カリファが見た被爆地・広島での驚きと学び、そして未来への思い

 8月6日、広島は78回目の原爆の日を迎えた。今年も暑い夏の1日。ビルが立ち並ぶ広島市の中心街は照りつける日差しを受けながら多くの人でにぎわう。その一角にある緑豊かな平和記念公園には、様々な世代、様々な国の人たちが入り交じる。

「広島に来たとき、これほどモダンで素敵な街だと想像していなかった」。そう語るのはサンフレッチェ広島のFWナッシム・ベン・カリファだ。現在31歳の元スイス代表FWは、母国のグラスホッパー、ドイツのヴォルフスブルク、トルコのエスキシェヒルスポル、ルーツを持つチュニジアのエスペランスなどを渡り歩き、2022年4月から広島でプレー。もともとアニメや漫画が好きで、オフには国内各地を旅行している日本好きだ。

「広島に来て、いかにモダンな都市で、いかに人々が前向きであるかを目の当たりにして本当に驚いた。かつて1発の原爆で多くの人々が亡くなり、放射線で病気になった人たちもいる。それにもかかわらず人々は前向きで、戦争反対に力を入れている。未来のための素晴らしいお手本だと思う」

 広島市は1945年8月6日、1発の原子爆弾によって一瞬にして焦土と化した。当時の市内には約35万人がいたとされているが、原爆によって同年末までに推計で約14万人が亡くなり、当時の市内の建物は90パーセント以上が壊滅的な被害にあったという。その後も多くの人が被爆による後遺症や差別によって心身の痛みに苦しんできた。78年後の今年8月6日までに、広島の原爆死没者名簿には33万9227人の名前が記されている。

 ベン・カリファは母国スイスで原爆について学んでいた。「学校で第二次世界大戦の話のときに原爆について学んだ。それはスイスの人たちにとってもショッキングな話だった。過去の話ではあるけど、起こったことを忘れてはいけない」。広島に移籍してからも平和記念資料館などを訪れ、「多くの人々が原爆のせいで病気になり、多くの子どもが亡くなったり、親を失ったりしたこと」を知り、改めて原爆の恐ろしさを感じた。

「広島に来て、原爆のことだけではなく、それに関わるところをより学べたと思う」。広島で知ったのは悲劇だけではなく、復興を成し遂げた街や人々の力強さだ。原爆によって広島市には「70年間は草木も生えない」とも言われていたというが、78年後のいまでは山と海に囲まれ、川や緑に恵まれた街に約120万人が暮らしている。海外で「HIROSHIMA」といえば、原爆の恐ろしさや惨劇のイメージが強いが、復興を遂げた街もまた世界に発信したい姿だ。

「広島は原爆やその悲劇によって世界でも有名だ。でも、この街がどのように発展してきたかを見れば、それは本当に素晴らしいこと。悲惨なことが起きても、立ち上がり、前を向いて、このような街を築き上げるということは、世界で私たちが持ちうる最高の見本だと思う」

 そんな被爆地・広島で、1人のサッカー選手として平和のためにできることはあるのだろうか。ベン・カリファの答えは「子どもたちにとってお手本になること」。スポーツができる平和を未来へとつなげること。

「ピッチ内外で、特に次の世代を担う子どもたちのお手本になれるように、自分たちのベストの姿を見せなければいけない。僕らはメディアやTVにも出るような存在だし、街でファンにあったときも、お手本になるような存在であるべきだ。それが最善の方法だと思う」

 見せたいのは「リスペクト」を大事にする姿。ピッチでは熱くなり過ぎることもあるが、それでも最後は相手を思う気持ちを失ってはいけない。「サッカーではピッチで小競り合いになることもある。でもお互いをリスペクトしなければいけない。それが最も重要なことだ。サッカーチームだけではなく、その周りのスタッフや支えてくれる人たち、すべてをリスペクトすることが大切だと思う」

 8月13日、サンフレッチェ広島は今年もピースマッチを開催した。サッカーを通じて平和を伝える取り組みとして、もう1つの被爆地にあるV・ファーレン長崎とJ1で初対戦した2018年にスタートし、それから広島は毎年8月6日前後のホームゲームをピースマッチとして開催している。

 6年目の今年は明治安田生命J1リーグ第23節で浦和レッズをホームに迎えての一戦。スイスからきたストライカーは、「広島でプレーする者にとって特別な試合。ピースマッチは広島だけではなく、日本全てのためにある」と自身2度目となるピースマッチへの思いを口にしていた。

 ベン・カリファは今季J1第22節までに、累積警告による出場停止の1試合を除く21試合に出場。献身的なプレーでチームを助ける一方で、得点数はFWとして物足りない1ゴールのみ。ひざのケガの影響もあり、チームの不調とともに、思うように結果が出ない苦しい時期を過ごしていた。中断期間明けも2試合連続でベンチスタート。それでも苦境に立ち向かっていく。

「ベンチに座っていると、悔しさを感じる。ピッチに入る時はその悔しさをエネルギーに変えて、『自分はベンチにいるような選手ではない。先発に値する選手だ』と監督に証明したいと思っていた」

 77分に途中出場したベン・カリファは、最後までゴールへ向かった。その姿勢が劇的な形で報われる。1-1のまま迎えた後半アディショナルタイム3分、カウンターでMF川村拓夢からパスを受けると、ワンタッチで前を向いてペナルティエリア内へ進入。「ファーストタッチが一番重要だった。いいタッチができたから、あとはそこから強いシュートを打つだけだった」。少し距離はあったが、迷わず右足を振り抜いた。

「迫井(深也)コーチから『いろんなところに顔を出してチームを助けてくれるけど、ストライカーとして前線でゴールに向かってほしい』と言われていた。だから、パスを受けた時、まずゴール方向にボールをコントロールして得点を狙うことを考えていた」

 気持ちを乗せた弾丸シュートは相手GKも届かないゴール右上隅に突き刺さった。7試合ぶりの勝利に導く劇的な決勝点。今季2点目を決めたベン・カリファは、熱い声援を送るサポーターのもとへと駆け寄り、「ありがとうの気持ちを見せたかった」という脱帽とお辞儀のパフォーマンスで喜びを分かち合った。

「今日は素晴らしいチームパフォーマンスだった。土壇場での素晴らしいゴールだったし、ピースマッチで2万人以上の前で勝利できた。完璧なシナリオだった」

 広島は来年から新スタジアムのエディオンピースウイング広島に本拠地を移すため、現在のエディオンスタジアム広島では最後のピースマッチ。暑い中でも今季最多の2万1108人の観客が彩ったスタジアムで、熱い応援に応えるために背番号13はピッチで最後まで諦めない姿を見せた。

「今日はサポーターが僕らを後押ししてくれた。こういうときは、暑さも感じないし、疲れも感じない。カウンターを仕掛けるとサポーターの声が聞こえ、走り出すとサポーターの声が聞こる。タックルを受けても、立ち上がってまた闘う力をくれる。全力を出すだけだった」

 今年のピースマッチは広島の劇的逆転勝利で幕を閉じた。マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたベン・カリファは、試合後に改めてサポーターからのリスペクトと平和な環境でプレーできることに感謝した。

「平和について、僕の仕事であるサッカーの話をすると、日本が一番のお手本だと思う。いろんな国でプレーしてきたけど、試合に負けたらサポーターの間でケンカが起きることがある。でも日本ではサポーターは家族のような感覚だ。いい試合ができず、負けが続いてネガティブになってもおかしくないときでさえも、常に前向きだ。この数試合、サポーターは常に僕らを支えてくれた。今日の勝利、2万人の観客、ピースマッチと広島の歴史、全てが合わさって素晴らしい試合だった。それに、新しいスタジアムもできるし、本当に素晴らしい街になる。僕は日本が大好きだし、広島は特別な場所だ」

 広島に来て約1年半。ベン・カリファは「日本人の心にはより平和があると思う」という。いまスポーツができる平和な日々があるのは、これまで困難に立ち向かい、リスペクトを忘れない人たちがいたからこそ。その思いを未来へとつなげていきたい。

取材・文=湊昂大

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