「大和」との類似点も!? 空母「翔鶴」竣工-1941.8.8 中盤以降は機動部隊の屋台骨に

旧日本海軍の空母「翔鶴」が1941年の今日、竣工しました。僚艦「瑞鶴」と並び大型で、特にミッドウェー海戦以降は機動部隊の主力となり各地へ赴きました。しかしアメリカに制海権を握られていく中、潜水艦による雷撃が致命傷となります。

大型で速い空母「翔鶴」

 1941(昭和16)年の8月8日は、旧日本海軍の航空母艦「翔鶴」が竣工した日です。「翔鶴」は全長250mあまり、基準排水量2万5000トンあまり、搭載できる航空機は70機程度と、旧海軍の大型空母でした。  なお、「翔鶴」と命名された空母としては2代目。初代はというと、1920年代に未完成で終わった空母が存在しました。1923(大正12)年9月、空母「天城」が関東大震災で損傷し廃艦になると、代わりに戦艦「赤城」などが空母化改造され、「翔鶴」は建造中止となったのです。

 それから10年あまり。ワシントン・ロンドン両軍縮条約を破棄していた日本は、制限を受けることなく軍艦を建造できる状態にありました。こうして1937(昭和12)年12月、先述のスペックを持つ「翔鶴」が起工。2年後に進水し、1941年8月8日に竣工したのでした。 大型である以外の特徴としては、「バルバス・バウ」と呼ばれ速力向上に寄与する球状艦首を採用した点が挙げられます。これは大和型戦艦と同じであり、最大速力は34ノット(約61km/h)に及びました。「翔鶴」の初陣は、太平洋戦争開戦の契機となった1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃でした。約60機の航空機を搭載し、僚艦「瑞鶴」など6隻の空母とともに作戦を成功させます。なお「瑞鶴」とは「五航戦」こと第五航空戦隊を編成しました。その後はラバウルやトラック諸島など南方作戦へ従事します。

ミッドウェー海戦には不参加、なぜ?

 1942(昭和17)年4月にはセイロン沖海戦に参加。イギリス海軍の空母やオーストラリア海軍の駆逐艦を撃沈しました。続く5月には、オーストラリア北東域で繰り広げられた珊瑚海海戦に参加。これは史上初の空母同士の海戦でした。「翔鶴」はアメリカ軍空母を撃沈する成果をあげたのと引き換えに、自身もアメリカ軍の艦載機の攻撃を受け大破。ちなみに行動を共にしていた「瑞鶴」はスコールに紛れたため無傷でした。「翔鶴」は修理のため日本本土へ向かいます。 同年6月、勝敗の転換点とされるミッドウェー海戦が勃発しますが、修理中の「翔鶴」および五航戦を組む「瑞鶴」は不参加。しかし結果、大敗北を喫したこの海戦を、2隻は“生き延びる”こととなったのです。この海戦で主力空母を4隻失った旧海軍において、以降の主力が「翔鶴」「瑞鶴」となったのはいうまでもありません。 制海権・制空権は徐々にアメリカに握られていきました。海戦は日本不利に傾いていき、8月のソロモン海戦において「翔鶴」は攻撃隊を発進させるも、自軍の損害に対し成果をあげられません。母艦こそ無事でしたが、輸送艦など含め作戦にあたった艦艇を多く失いました。 10月にはガダルカナル島の飛行場を奪取しようと、陸海軍の総力をあげた南太平洋海戦が勃発。「翔鶴」は攻撃隊を発進させた後、アメリカ軍艦載機の空襲を受けます。飛行甲板に爆弾が命中するも、消火活動が成功し沈没は回避。そして同じころ、別の攻撃隊がアメリカ軍空母と駆逐艦を撃沈しました。「翔鶴」は11月、本土へ向かいました。 南太平洋海戦はミッドウェー海戦後の戦闘では珍しく、日本側が一方的に敗北する体とはなりませんでしたが、航空隊を見れば多くのベテランパイロットを失いました。それでも「翔鶴」「瑞鶴」は真珠湾攻撃からの成果を認められ、感状を与えれられています。

致命傷となったは海中からの攻撃だった

 1943(昭和18)年は、「翔鶴」は主だった戦闘には参加していません。本土と南方との物資運搬任務をこなしています。ただし翌1944(昭和19)年にもなると、日本近海であれアメリカ軍の潜水艦が出没するようになり、輸送船団もたびたび危険にさらされます。 日に日に敗色が濃くなる6月、太平洋の要衝サイパン島へアメリカ軍が上陸。進軍を阻止しようとした日本とのあいだにマリアナ沖海戦が勃発します。しかしこの戦闘が、「翔鶴」の最期となります。

 19日朝、「翔鶴」など6隻の空母は攻撃隊を発進。ただ、アメリカ軍の高性能なレーダーと新型の対空弾を前に、まともに空襲できないまま多数を撃墜されます。機体のほかパイロットもさらに消耗し、これは以降の日本の戦法に大きな影響を与えました。 一方の「翔鶴」は正午前、アメリカ軍の潜水艦の雷撃を受けます。4本(資料によっては3本)の魚雷が命中したことで、「翔鶴」は機関を損傷。さらに浸水により傾斜していた最中、突如にして爆発を起こしてしまいました。約3時間にわたり火災に見舞われますが、なすすべもなく「翔鶴」は沈没。なお、同海戦では最新鋭だった空母「大鳳」も撃沈され、日本の海軍空母部隊は壊滅状態に陥りました。 水中からの攻撃も想定し、防御層も厚くした「翔鶴」でしたが、雷撃されるまで潜水艦に追尾されていたことを察知できず、当時の戦力としては貴重な大型空母がまた1隻、海中に沈んだのでした。※和暦を修正しました(8月10日11時50分)。

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