そして伝説へ「世界一危険なエアレース」半世紀の歴史に幕 累積30人超の死者 なぜいま終わるのか

50年以上の歴史を持つ世界最大・最速の飛行機レース「リノ・エア・レース」が2023年9月の開催を最後に幕を閉じます。なぜレースを止めることにしたのか、その理由は切実でした。

最後の「リノ・エア・レース」は2023年9月開催

 世界最大にして最速の航空機によるレースとして知られる「ナショナル・チャンピオンシップ・エア・レース」、通称「リノ・エア・レース」が今年(2023年)9月の開催を最後に終了すると正式に発表されました。

 このエア・レースは、アメリカ中西部ネバダ州のリノ市郊外にあるリノ・ステッド空港を会場に、1964年からほぼ毎年開催されてきた飛行機によるレースです。ただ、このたびリノ・ステッド空港の運営権者であるリノ・タホ空港管理局は、理事会においてリノ・エア・レーシング協会との契約を今後、更新しないことを決議したと発表。 この決定により今年、すなわち2023年9月に開催されるエア・レースがリノで行われる最後となり、来年(2024年)には、同エア・レースの60周年を記念する航空ショーのみを開催することになりました。

これまで30人以上の犠牲者

 このレース会場では、航空機が超低空で、しかも複数が互いに接近しながら飛行し速さを競うスリルに富んだレースが展開されます。ゆえに、当然ながら危険も伴います。もちろん安全対策は講じられてきましたが、事故は何度か起きています。1964年の第1回からの犠牲者数は累計で32名にも上ります。 2011年9月16日に発生したP-51Dの墜落事故では、機械的な故障で操縦不能になった競技機が観客席の最前列に極めて近い場所に墜落するという惨事が起きてしまいました。この事故では乗っていたパイロットを含め11人の犠牲者と69人の負傷者を出しています。 この事故を契機に、レースの安全対策は見直しが行われたことは言うまでもありません。だからか、安全対策が改訂された2012年以降の事故による犠牲者数は2名と発表されています。

命知らずたちが火花を散らす名レース

 リノ・エア・レースでは、複葉機クラスや短距離離着陸機クラスからジェット・クラスまで計6種のクラスが設定され、競技が行われます。どのクラスも、会場周辺に設置された複数の「パイロン」と呼ばれる標識の周囲を、グルリと回るコースで競技が行われます。高速で旋回しながら飛行するため、各機は急なバンク角を維持しながらパイロン周辺を飛行します。その様子はまさにリノならではの飛行シーンでしょう。 2002年に新設されたジェット・クラスはポーランド製TS-11「イスクラ」やチェコ製L-39「アルバトロス」などの軍用練習機が使用されます。 一方、アンリミテッド・クラスでは、第2次世界大戦中に用いられたノースアメリカンP-51「ムスタング」やグラマンF-8F「ベアキャット」などの戦闘機をベースにした競技機が用いられます。スピードアップ目的のエンジン換装はもちろん、空気抵抗を極限まで減らすためにラジエーターやキャノピーの形状を変更した往年の名機たちが速度を競う姿は、リノでしか見られない光景でしょう。

なぜ今更中止に…?

 危険はありながらも名門レースとして50年続いたリノ・エア・レースが、なぜいま終了するのでしょうか。 リノ・タホ空港管理局はこの決定に至った理由について、市街地の拡大と保険料などのコスト上昇を挙げています。たとえば昨年の保険料は、それまでの78万ドル(日本円で約1億140万円)から130万ドル(同1億6900万円)に大きく上昇したのだそう。さらに、同協会では2024年以降のレース会場として、複数の空港所在地とすでに話し合いを始めていると表明しています。 いまや、アメリカ航空文化の象徴的なイベントであるリノ・エア・レースの存続は、航空ファンのみならず多くのアメリカ人たちが見守っていることでしょう。リノにおける最後の開催となる今年のレースは、9月13日から17日までの5日間です。

アメリカでは大戦機なぜ飛ばせるのか?

 こうしたド迫力のエア・レースを可能にしているのは、「エクスペリメンタル・カテゴリー」と呼ばれる航空機によるフライトです。「エクスペリメンタル」とは「実験機」を意味する言葉で、これらは型式証明を持っていませんが、アメリカでは基準さえ満たしていれば、そんな航空機でも自由に飛行が可能です。 この制度のおかげで、軍役を終えた様々な機体が民間に払い下げられ、エクスペリメンタル・カテゴリーの航空機として各地で飛び続けているのです。なお、この制度がないのはG7先進主要国の中では日本だけです。

 日本では、昔造られた航空機を飛ばすのが難しい点について、ファンやマニアのあいだで議論されることがよくあります。その際に焦点となるのは、金銭的事情やメンテナンスだったり、保管場所の確保だったりしますが、それ以外にも前出したような制度上の問題が大きくかかわっています。 翻ると、そういう航空機に親しむ土壌がないからこそ、航空産業も育たないと言えるのではないでしょうか。日本の航空産業を育成するために必要なのは、設計や生産技術だけではなく、リスクを見極めコントロールする技術と制度も含まれるのではないかと、筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は感じています。 エア・レースをする必要はなく、とうぜんながら安全性の確保は必須ですが、そのような形にしないと、技術遺産としての飛行機はすべて博物館などでの静態保存しかできなくなってしまうのではないでしょうか。

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