日本との対戦を前に…プレミアで2桁得点を達成したウルグアイ出身選手を振り返る

 日本代表は24日、キリンチャレンジカップ2023でウルグアイ代表と対戦する。FIFAワールドカップカタール2022ではグループリーグで敗退したウルグアイ代表だが、2018年のロシア大会ではベスト8、2010年の南アフリカ大会では準決勝まで勝ち上がった実力を有するチームだ。

 プレミアリーグには現在、ロドリゴ・ベンタンクール(トッテナム)、ダルウィン・ヌニェス(リヴァプール)、ファクンド・ペリストリ(マンチェスター・U)、マティアス・ビーニャ(ボーンマス)と4人のウルグアイ出身プレーヤーが所属している。3月のインターナショナルマッチウィークで暫定的に指揮を執る、U-20ウルグアイ代表のマルセロ・ブロリ監督は、左ひざの前十字じん帯を断裂し、来季まで復帰できないベンタンクール以外の3名を招集。その後、ヌニェスが負傷により招集を辞退したが、冬の移籍市場でローマからボーンマスにローン移籍したビーニャと、マンチェスター・Uのエリック・テン・ハフ監督から最近の成長ぶりを高く評価されるペリストリは来日している。

 これまでにプレミアリーグで1試合でも出場歴のあるウルグアイ人は26人。そのうち、10ゴール以上を記録した選手は4人いる。今回は、古豪ウルグアイが輩出したプレミアリーグで2桁得点を達成した名ストライカーたちを紹介する。

■ルイス・スアレス(36歳)

プレミアリーグ在籍期間: 2011年1月~2014年7月(リヴァプール)
プレミアリーグ通算試合出場数/通算得点数:110試合/69ゴール

 たった3年半でルイス・スアレスはプレミアリーグで69ゴールを決め、スペインに旅立った。2011年1月にアヤックスからリヴァプールに加入したスアレス。2009-10シーズンにエールディビジの得点王に輝いたウルグアイ代表FWは、プレミアリーグでのデビュー戦となった2011年2月ストーク戦で挨拶代わりのゴールを記録。翌シーズンのリーグ戦でチーム最多の11得点を決めたスアレスが本領を発揮したのは、ブレンダン・ロジャーズが監督に就任した2012-13シーズンだった。

 冬の移籍市場で加入したダニエル・スタリッジとの『SAS(スアレス&スタリッジの略)』コンビも機能。シーズン終盤にチェルシーのDFブラニスラヴ・イヴァノヴィッチの腕に噛み付いた為に10試合の出場処分を受け、最後の4試合でピッチに立つことが出来なかったが、それでもリーグの得点ランクで2位の23ゴールを記録した。残りの出場停止処分を消化し、第6節から登場した翌シーズンは初戦からゴールを重ねたスアレス。プレミアリーグだけでハットトリックを3度も達成。2017-18シーズンにモハメド・サラーに抜かれるまで、38試合制のプレミアでは歴代最多タイとなる31ゴールを決めて得点王に輝くとともに、チームをリーグ2位に導いた。なお、当時のリヴァプールでPKキッカーはスティーヴン・ジェラードが担当していたため、スアレスは1993-94シーズンのアンディ・コール以来、史上2人目となるPKなしでプレミアリーグ30ゴール越えを達成した選手となった。

 華々しいシーズン後に臨んだ2014年のブラジル・ワールドカップで今度はイタリア代表DFジョルジョ・キエッリーニに噛みつき、4カ月間のフットボール活動禁止を受けたスアレス。最終的に同年8月に7500万ポンド(当時レートで約130億円)の移籍金でバルセロナへ移籍することに。その後はアトレティコ・マドリードで2年プレーをし、昨年夏にキャリアをスタートさせた母国のナシオナルに復帰。今年1月にブラジルのグレミオに加わっている。

■グスタボ・ポジェ(55歳)

プレミアリーグ在籍期間:1997年7月~2001年6月(チェルシー)、2001年6月~2004年7月(トッテナム)
プレミアリーグ通算試合出場数/通算得点数:187試合/54ゴール

 現ギリシャ代表監督のグスタボ・ポジェは、ロンドンの2クラブで計7シーズンに渡ってプレーをした。1990年にウルグアイを離れてスペインに渡り、サラゴサで7年もプレーをした元ウルグアイ代表MF。1997年夏にルート・フリットが監督を務めていたチェルシーに加入。1年目は十字じん帯断裂の大ケガを負って長期離脱を強いられたが、2年目からはジャンルカ・ヴィアッリの指揮の下で主力として活躍。1998-99シーズンから3年連続でプレミアリーグ2桁得点を達成した。

 2001年に同じロンドン内のトッテナムへ移籍し、初年度はテディ・シェリンガムと共にチーム最多タイとなるプレミア10得点を記録したが、2002-03シーズンの開幕前に再び十字じん帯を断裂。翌シーズンもケガで頻繁に離脱を強いられたが、それでもトッテナムで過ごした3シーズンで公式戦98試合に出場し、23ゴールを記録した。

 2006年にチェルシー時代のチームメイト、デニス・ワイズ率いるスウィンドン(当時リーグ2)と選手兼任コーチとして契約して以降は指導者の邁進中。2009年にブライトンで初めて監督のポジションに就き、サンダーランド、AEKアテネ、レアル・ベティス、上海申花、ボルドー、ウニベルシダ・カトリカで指揮を執り、2022年2月からギリシャ代表を率いている。

■エディンソン・カバーニ(36歳)

プレミアリーグ在籍期間:2020年10月~2022年7月(マンチェスター・U)
プレミアリーグ通算試合出場数/通算得点数:41試合/12ゴール

 天性の得点力を持つエディンソン・カバーニだが、プレミアリーグの水には馴染めなかったようだ。ナポリとパリ・サンジェルマン(PSG)でゴールを量産し、セリエAとリーグ1で計3回トップスコアラーのタイトルを獲得した“エル・マタドール”。PSGでは所属した7年間で6度のリーグ優勝に貢献し、クラブ歴代最多となる200得点をマークした。

 2020年夏にPSGを退団したカバーニは、同年10月にマンチェスター・Uと契約。翌月のサウサンプトン戦で2ゴールを決めた後で祝福メッセージを送った友人に対して用いた言葉が人種差別に当たると判断され、翌年1月にFAから罰金と3試合の出場停止処分を受けた。そんな一件もあり、シーズン途中にから南米に戻りたがっているという噂が絶えなかったウルグアイ代表FW。

 それでも最終的にはリーグ26試合に出場してチーム3番目となる10得点を決めたカバーニ。2021-22シーズンはコロナ陽性による隔離措置で出遅れ、第3節のウルヴァーハンプトン戦で初出場。この試合後に加入が決まったクリスティアーノ・ロナウドに背番号7を譲ったカバーニは、公式戦20試合でわずか2ゴールという自己ワースト記録のシーズンを終えた後でマンチェスター・Uを退団。今季はバレンシアでプレーをしている。

■ディエゴ・フォルラン(43歳)

プレミアリーグ在籍期間:2002年1月~2004年8月(マンチェスター・U)
プレミアリーグ通算試合出場数/通算得点数:63試合/10ゴール

 初めて挑んだ欧州のクラブがマンチェスター・Uだった。2014年1月から2015年6月までセレッソ大阪に所属し、日本のファンにも愛されたディエゴ・フォルラン。アルゼンチンのインデペンディエンテで結果を残し、2002年1月に22歳の若さでマンチェスター・Uに加入した。

 1ゴールも決めることができないまま最初のシーズンを終えたが、同年夏の日韓ワールドカップのメンバーに選出されると、グループステージ最終戦でセネガルを相手に長距離シュートを決めて存在感をアピール。2002-03シーズンはルート・ファン・ニステルローイやオーレ・グンナー・スールシャールの控えとして起用され、プレミアリーグで6ゴールを記録。決して多くはないが、アンフィールドでリヴァプールを相手に2ゴールを決めたことでファンのハートを鷲掴みにした。

 2003-04シーズンには4ゴールを決め、プレミアリーグでの通算得点数をピッタリ10得点としたフォルランは、ウェイン・ルーニーがエヴァートンから加入した2004年夏にビジャレアルへ移籍。2007年からはアトレティコ・マドリードでプレーをし、スペインで2度の得点王のタイトルを獲得した。セリエAのインテル、ブラジルのインテルナシオナウを経由してセレッソ大阪でプレーをした後は、ペニャロール、ムンバイ・シティ(インド)、キッチー(香港)でもプレーをし、2019年に現役引退を発表。その後はウルグアイのペニャロールとCAアテナスで監督を務めた。

(記事/Footmedia)

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