フェラーリもポルシェも「跳ね馬」エンブレム同じのナゼ “同じ馬”説の真相は

フェラーリのエンブレムといえば「カヴァリーノ・ランパンテ」と呼ばれる跳ね馬として知られています。そしてポルシェのエンブレムも同じ跳ね馬、ルーツが同じと言われることもあったふたつのエンブレムですが、実は違うようです。

フェラーリとポルシェ同じ馬のモチーフで似ているが…

 1898年2月18日に生まれたエンツォ・フェラーリは、1947年に自社製レーシング・マシンを開発し、自動車製造会社フェラーリをスタートさせました。このフェラーリのエンブレムといえば「カヴァリーノ・ランパンテ」と呼ばれる跳ね馬として知られています。

 そしてこのエンブレムには伝説があります。それは、ポルシェのエンブレムとルーツを同じくしているという話です。  ポルシェはドイツ南西部のシュトゥットガルトで誕生し、1950年から本社のあるシュトゥットガルト市の市章と同市のあるバーデン=ヴュルテンベルク州の州章を組み合わせ、中央に同じく跳ね馬のモチーフがあるエンブレムを使っています。 なお、エンツォ・フェラーリはイタリアのモデナ県マラネッロで生まれ、自身がレーサーだった1929年にレーシングチームのスクデリア・フェラーリを立ち上げた頃からこの跳ね馬のモチーフを使っています。なぜそうなったかというと、第1次世界大戦時イタリア軍でエースパイロットだったフランチェスコ・バラッカという人物が関係しています。

元々バラッカの所属部隊のマークだった説が濃厚

 バラッカは、跳ね馬のエンブレムを自身の愛機のパーソナルマークとして使っており、空戦で敵機撃墜数が増えるたび、敵味方問わず多くの将兵に知られる存在となっていきました。しかし、1918年6月19日にバラッカは戦争終結を見ることなく戦死してしまいます。

 そして1923年6月、エンツォ・フェラーリはイタリアのラヴェンナで行われたレースで優勝しますが、レースをたまたま観戦していたバラッカの母親は、その勇姿に亡くなった息子の面影を重ね、「ぜひ息子の愛用していたシンボル(跳ね馬)を使ってほしい」と伝えます。それをエンツォ・フェラーリが受け継いで今に至るといわれています。 この跳ね馬のシンボルですが、バラッカが当時敵であるドイツ機を撃ち落としたときに戦利品として拝借し、自分のシンボルにしたという話があります。そのマークこそがポルシェのエンブレムのルーツでもあり、ドイツ語で「馬の園」を意味するシュトゥットガルトの市章だった、というものです。 しかしこの伝説は、最近ではほぼ否定されています。バラッカの跳ね馬のマークは、ドイツ機から拝借したものではなく、かつてバラッカ所属していたイタリア陸軍第2騎兵連隊の部隊章がルーツという説が有力のようです。部隊章を戦闘機パイロットになったあとも使用していたのではないかとされています。 ちなみに、フェラーリは騎兵から、ポルシェのエンブレムは軍用の馬の産地からきているということで、恐らく軍馬がルーツをいうことは同じです。なおフォード「マスタング」のエンブレムのモチーフになっている馬は別で、こちらは車名の「マスタング」に由来する欧州から持ち込まれ、北米で野生化した馬です。 また、フェラーリが2022年9月13日に発表した4ドアスポーツカーの「プロサングエ」は、英語ではサラブレッドの意味ということで、こちらも馬にちなんでいます。

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