東急の廃線「砧線」開業時の待合室が撤去 「砧本村」バス停の建屋 移設保存も視野

100年近く街を見守り続けた「駅舎」でした。

建て替えに伴い解体保存

 東京都世田谷区の東急バス「砧本村」バス停にあった古い待合室が、昨年12月に老朽化により撤去されました。 砧本村(きぬたほんむら)は、かつて1969(昭和44)年まで運行されていた「東急砧線」の終着駅でした。砧線は二子玉川駅(当時は二子玉川園駅)から西へ分岐し、多摩川沿いをトコトコ走っていた、2.2kmの短い路線で、もともとは多摩川の砂利輸送も担っており、「ジャリ電」という愛称もあったといいます。 新玉川線(現在の田園都市線地下部)の開業に先立って砧線は廃止。終着駅の砧本村駅は、代替となる東急バスの折り返し場となりました。開業以来の待合室も、そのままバス待合室として第二の人生を送っていました。 老朽化にともない、12月から建て替え工事が開始。撤去にあたって、近隣の駒澤大学玉川キャンパスの学生によって12月2日に「さよならイベント」が行われました。 その後12月7日に建屋は部材ごとに解体。東急バスによると、まずは社内で保管され、「再利用が可能な形で保管しています」とのことです。

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