わたしたちが知らないスーホの白い馬の真実と当時のモンゴル

「モンゴル」と聞いて、我々は何を連想するだろうか。今日の中国や朝鮮半島はもちろんのこと、全盛期には東ヨーロッパやトルコ、シリア、そしてアフガニスタンやチベット、ミャンマーに至る、広大な地域を領したモンゴル帝国の初代皇帝、チンギス・ハーン(1162?〜1227?)。そして近年では、朝青龍(1980〜)や白鵬(1985〜)など、日本の角界を彩った名力士たちが思い出されるかもしれない。しかし、「国」、「民族」そのものについては、現代的なビルや工場などは一切なく、東西南北無限に広がる雄大な草原地帯。そこでもたらされる自然の恵みに身を任せ、牧畜生活を営む民。そして「騎馬民族」ゆえに、馬と人が寄り添い合って暮らしている…と。

■モンゴルを代表するスーホの白い馬

いわゆる「モンゴルの民」は主に、ウランバートルを首都とするモンゴル国と、中国国内の内モンゴル自治区、更にはロシアのバイカル湖を隔てて存するブリヤート共和国の3箇所に居住している。しかし、国そのものや文化、そこで生きる人々が「雄大な自然」ゆえの大らかさ、「騎馬民族」ならではの勇猛さ、「牧畜の民」だからこその、「時代」「政治」「文化」に左右、場合によっては毒されない、「本来の人間のありのままの姿・生き方」を今なお体現し続けている…とは限らない。

かつては旧ソビエト連邦に次ぐ、世界で2番目の社会主義国・モンゴル人民共和国だったが、1992(平成4)年に「民主化」を遂げたモンゴル国は、2020(令和2)年当時、国内でいわゆる遊牧を生業としている人々は、人口およそ330万人のうちのわずか9%。人口の半数近い160万人がウランバートルに住み、高層ビルやマンション、巨大デパートやショッピングモール、GucciやLouis Vuittonなどのハイブランドブティック、世界各国のグルメ、ポルシェやB M Wなどの高級スポーツカー…先進諸国、または「都会」であれば「どこにでもある」「珍しくない」都市生活と共に在る。

このように、我々日本人が抱いている「モンゴルの民」「モンゴル」そのもののイメージ形成に大きく関わってきたものがある。それは、『スーホの白い馬』だ。1965(昭和40)年から現在に至るまで、小学2年生の国語や中学2年生の英語の教科書に掲載されている、とても有名な話だ。

■スーホの白い馬のあらすじ

貧しいながらもモンゴルの草原で、羊飼いの少年・スーホはあるとき、白い子馬を拾う。彼らはとても仲良しだった。何年か後に、土地の殿様から、「町で競馬大会を行う。優勝者には、自分の娘の婿として迎える」と、お触れが出た。周りの人々に勧められ、スーホは一人前になった白い馬と、大会に出ることにした。

スーホと白馬は一等だった。しかし殿様は当初の約束を反故にして、一方的に白馬を取り上げた。強く抵抗したスーホだったが、殿様の家来にさんざんに打ちのめされ、そのまま外に放り出された。

ひどい傷だったことと、愛する白馬から引き離されたショックで、草原に戻ったスーホは何日も寝込んでしまった。

一方、殿様は大勢の客を招いて酒盛りを催した際、大会で一等になった白馬をみんなに見せようとした。得意げにその背にまたがったとたん、白馬はものすごい勢いで抵抗した。そのはずみで落馬した殿様は、怒りと恥辱に震えながら、白馬を弓で射殺すように命じた。逃げる馬の背後から、家来たちが一斉に弓を射る。大量の矢が命中した。それでも白馬は、一目散に逃げた。とうとう家来たちは、馬の追跡を諦めた。

ある夜のこと。外の騒がしさにスーホが外に出てみると、無数の矢が刺さり、弱り果てた白馬が横たわっていた。スーホは即座に刺さっている矢を抜き、止血するなど懸命の手当を施したものの、白馬は死んでしまった。

何日も悲しくて眠れなかったスーホだったが、泣き疲れたある夜、夢を見た。白馬が現れ、自身の骨や皮、筋、毛などを用いて楽器を作るように頼んだ。

スーホは早速、白馬の遺骸から楽器を作った。それが今日に伝わる「馬頭琴」だ。哀切に満ちた美しい楽器の音色は、スーホのみならず、聴く人みんなの心を揺り動かした…

■スーホの白い馬とは異なる本当のモンゴルとは

この悲しい話は必ずしも、「モンゴル」の真実を伝えているものではないという。

1961(昭和36)年に、『スーホ』を初めて日本に紹介したのは、かつての満州国生まれの児童文学者で翻訳家の大塚勇三(1921〜2018)だった。そしてそれは、『馬頭琴』という昔話をもとに「再話」したものだった。しかも、1980(昭和55)年から2004(平成16)年まで採用されていた教科書の『スーホ』で挿絵を担当していた赤羽末吉(あかばすえきち、1910~1990)もまた、若い頃に満州に渡り、15年ほどの滞在経験を有していた。

大塚や赤羽を含む「渡満体験者」の日本人にとって、満州とは、日本政府によって1938(昭和13)年から推進された「満蒙開拓団」という、今日でいう「移民政策」において喧伝されたイメージ、それは狭苦しく閉塞的な日本とは異なり、土地そのものにも、人間関係にも、一切の遮蔽物はない。無限に広がる草原の向こうに沈む真赤な太陽…といった大自然のみならず、自身の「新しい未来」が開ける、希望に満ちた「別天地」だった。それゆえ大塚が見出し、「再話」した『スーホ』の奥底には、第2次世界大戦の敗戦によって、彼らの夢は一方的に断たれてしまった。再び、狭苦しい日本という「場所」に戻らざるを得ない。一か八かの人生の賭けを行なった自分。そしてさまざまな辛いこと、苦しいことはあったものの、日本とは全く異なるモンゴルという「場所」への郷愁と、日本に戻ってからはもはやその地を、かつての気概と活気あふれる状況で踏む/生きることが叶わないという「寂しさ」が秘められていると推察される。

一方の『馬頭琴』は、若い頃に内モンゴル師範学校で学んだ経験がある中国人作家の塞野(セーイエ、1932〜)によるものだ。1956〜58(昭和31〜33)年に中国国内で出版された、3冊の民話集に収められていた。1951(昭和26)年、塞野が内モンゴル自治区のドロンノールで教員をしていた頃に偶然、日本で言う「流し」のような、歌を歌いながら各地を経巡る年老いたモンゴルの芸人から、「馬頭琴」の歌を聞いた。そしてそれを、幾度もの「推敲」「変更」を重ね、先に挙げた「民話」の形になしたものだという。

■スーホの白い馬と馬頭琴の違い

『馬頭琴』と『スーホ』の違いだが、前者では主人公は17歳、後者では少年。競馬大会が催されたのが、前者ではチベット仏教寺院で、後者では町。白馬を奪われた悲しみを前者は描写していないが、後者では詳細に描いた。ラストの、馬頭琴ができあがった後、前者では主人公がそれを演奏するたびに殿様(「王爺」と表される)への憎しみがよみがえってくると記されているが、後者にはそれよりも、白馬と過ごした楽しい思い出。そして悲しげな、しかし人の心を打つ音色が強調されている…などがある。

塞野が聞いた、旅芸人の歌物語そのものがどんなものだったのかは不明だが、『馬頭琴』はかなり「改変」「削除」「添加」が行われ、中国共産主義的「思想」や「キーワード」、「メッセージ」が込められていると、内モンゴル自治区出身のミンガド・ボラグ(1974〜)は、指摘する。

例えば主人公の名前・スーホこと「蘇和」はモンゴル語の「スフ」〔sūke〕の当て字で、中国語のウェード式の発音が「スーホ」になるという。そして「スフ」の意味は「斧」。「斧」や「鎌(かま)」「金づち」は、かつてのソビエト連邦などの社会主義/共産主義国家の国旗や党旗における、重要なシンボルだ。つまりそれらは、支配階級に搾取され、痛めつけられた民衆の犠牲。そして社会主義/共産主義の下に団結・抵抗する「血」を表す赤地に、労働者や農民たちが日常的に使う道具であることから、彼らの団結・抵抗の力を表現するものとして描かれてきた。このことから、主人公の名前が「斧」を意味する「スーホ(スフ)」だったことは、支配階級に搾取されてきた弱い民が、社会主義/共産主義の下に団結・抵抗することの象徴だと考えられるという。

また舞台は、現在の内モンゴルに位置するチャハル草原だが、チャハル草原周辺には、我々がよく知る『スーホの白い馬』に類する民話・昔話・伝説は存在しない。しかも『馬頭琴』における「王爺」、『スーホ』における「支配階級」を表象する「お殿さま」に充当する者は、塞野の採集当時のモンゴル遊牧民社会には存在していなかった。

そして「馬と共に生きてきた」遊牧民だからこそ、馬の「扱い」をよく知っている。仲良く遊ぶばかりでなく、「厳しい」しつけも含めて、「大切」に育ててきた。そうした中、もしも馬が抵抗し、人が乗っていない状態で逃げ出してしまったとしても、それを追いかけ、何本もの弓で射かけ、あろうことか、殺してしまうことはない。簡単に追いつける。万一、馬の体に弓が刺さってしまったとする。その手当てにしても、『スーホ』のように、いきなり矢を抜くことはしない。羊の毛を燃やし、それを用いて馬の傷口を焼きふさぐ。そうすることで、止血のみならず、傷口の化膿を防ぐのだという。

しかもモンゴルの習慣法をまとめた『ハルハ・ジルム』(1709)によると、健康な馬、がちょう、カエル、ヘビ…などを殺してはならない。殺す者がいたら誰であっても、その者の馬1頭を没収する」と定められていたことから、たとえ土地を治める殿さまであっても、それを破ると、法に則り処罰を受けねばならない。

しかも遊牧民たちは、『馬頭琴』や『スーホ』で言い表されているように、「貧しかった」のか?第2次世界大戦終了後の毛沢東(1893〜1976)体制当時、共産主義の下に一致団結し、国を復興・発展させていこうという大きなうねりの中にあった中華人民共和国、そしてそこで生きていた、塞野を含む中国の人々の目には、確かに「貧しい」「何も持たない」、そして「富裕」「豪奢な暮らしをしている」資本家に搾取されている哀れな存在に見えたかもしれない。しかし、その生活が何世紀にも渡って「成り立ってきた」モンゴルの遊牧民にとっては「あの状態」は決して、「貧しい」「何も持たない」ものではなかった。ごく普通の、平和な日常だったのだ…

■伝統は最初は伝統ではなかった

作家の藤井青銅(1955~)によると、すべての「伝統」は、始まったときには伝統ではなかった。しかし、何らかの必然性や意義があって続けられてきたものが、後々、「伝統」になった。「伝統」の中には、年月を経るうちにその意義や必要性が変化したり消滅したり、そして忘れられたり、或いは、ただ「続けることそのもの」だけが存在理由になっているもの。または、何らかの「権益、権威の維持と保護」のためだけに続けられている、名ばかりの「伝統」もある。

藤井が言う「伝統」とは、「民話」「言い伝え」「伝説」に関しても、同じことが言えるのかもしれない。「満蒙開拓団」の夢を忘れられなかった大塚、または満州に渡って日本に戻ってきた多くの人々が「求める」伝説を採集する。そしてそれが、「満蒙開拓団」を知らない戦後生まれ以降の日本人が抱いてきた、二度と戦争を起こさない、平和で友好な関係構築のための「アジア理解」に加え、「現代人が忘れてしまった素朴で根源的なありよう」へのノスタルジーと結びつき、「児童/生徒教育にふさわしい」として、教科書に採用されてきた。そこにはもちろん、何の「権益」も存在しないだろうが、モンゴルの「実際」はともかく、先に挙げたモンゴルの民への「思い」を、未来を生きる子どもたちに「継承すべきもの」と捉えられてきたのか。またはそれらは完全に忘れ去られ、今世紀から世界規模の潮流となっている「グローバリズム」「多文化共生」の文脈の中で、「文化文明とは全くかけ離れた生活をしている素朴な民」も存在する「多様な世界」に思いを馳せよう…という新しい「意味」が付与され、「読まれる」「味わう」ことが求められているのだろう。

■モンゴル国で語られている馬頭琴起源伝説 フフー・ナムジルとは

ちなみに、モンゴル国で語られている馬頭琴起源伝説は、『フフー・ナムジル』というものが一般によく知られているという。この話は、著名な叙事詩の歌い手で映画俳優でもあったナ・ダギーランヅ(N. Dagiiranz、1930〜2014)が1957(昭和32)年に馬頭琴の弾き語りで初披露されたのが始まりだ。

昔、モンゴル草原に、フフー・ナムジル(「カッコウのような美声の持ち主」という意味)という名の美しい青年がいた。フフーは兵役のために険しい山々を経巡る中、1人の美しい女性と恋に落ちた。その女性は天女だった。

2人は仲良く暮らしていたが、兵役が終わり、フフーは故郷に帰ることになった。天女はフフーを引き留めたが、故郷には年老いた母親がひとり、彼の帰りを待っていたため、戻らねばならなかった。そこで天女はフフーにジョノン・ハルという黒い馬を贈った。

ジョノンはとても速く走れるばかりでなく、翼を持った、不思議な馬だった。ジョノンの背に乗って、フフーはいつでも天女と会うことができた。

そんな中、フフーの集落には、彼のことを片思いする女性がいた。彼女はフフーが夜になると集落を出、日が昇る前に帰ってくることに不審を持って、こっそりフフーを見張っていた。その結果、フフーが空を飛べる特別な馬・ジョノンの背に乗り、毎夜のように美しい天女に会いに行くとわかった。嫉妬に狂ったその女性は、フフーが天女の元に行けなくなるよう、ジョノンの翼を切った。翼を失ったジョノンは、死んでしまった。

愛するジョノンを失い、天女にも会いに行けなくなってしまったフフーは、悲しみに暮れる日々を送っていた。そこでフフーは、木でジョノンの頭を彫刻し、それを棒の先につないだ。そして共鳴箱にジョノンの皮を張って、しっぽを弦にして曲を演奏した。これが最初の馬頭琴である…

■風葬ではなく放置されていた

中国のモンゴル自治区シリンゴル生まれのモンゴル研究者、桜美林大学の都馬(とば)バイカル准教授(1963〜)によると、外モンゴルでは20世紀半ばまで、内モンゴルでは1970年代まで、一部の地域で風葬(ふうそう)の習慣が残っていたが、現在は完全になくなっているという。風葬とは、遺体或いは遺体の入った棺などを岩陰や林に置いて、自然に骨にする葬法のことだ。20世紀前半にモンゴルで活動した、プロテスタント系のスウェーデン宣教師で医師の、ジョエル・エリクソン(1890〜1987)が1913〜38年、そして1947〜48年にチャハル地方で撮影した写真の中に、風葬を写したもの、そして自然災害で亡くなった家畜の写真が数点残っている。亡くなった人や家畜はいずれも、大地の上にそのまま、置かれていた。先に紹介した物語にはいずれも、亡くなった馬の葬儀に関する記載はないが、自然に骨に還るべく地面に「放置」されている遺骸から、主人公が楽器をつくったと推察される。

■最後に

主人公が愛馬の死を悼んで、その体の一部を用いて楽器にするところは似ているが、『スーホ』並びに『馬頭琴』とは、全く異なる。果たしてどれが、「正しい」のか。

我々が「事実」「真実」「常識」と思っていることが、必ずしも「事実」「真実」「常識」とは限らない。そしてまた、馬頭琴の形や音色そのものには何の罪もない。

100年後、200年後に、モンゴルを舞台とした「馬」「馬頭琴」が登場する「民話」はどうなっていることだろう。物語の骨子である、理不尽な理由で亡くなった馬の体の一部を用い、飼い主が楽器をつくることは変わらないと思われるが、「政治」「文化」「時代」がそれに付与され、今我々が知るものとは全く異なった物語が紡ぎ出されているに違いない。

■チ・ボラク 作曲「スーホの白い馬」

■参考資料

■前田妙子「【教材研究】1 『スーホの白い馬』研究」日本国語教育学会(編)『月刊国語教育研究』1979年7月号(34-39頁)日本国語教育学会
■山内玲子「【心を解き放つ絵本】子どもの好きな本のリスト 5:『スーホの白い馬』 大塚勇三(再話)赤羽末吉(絵)福音館書店」子どもと本編集委員会(編)『季刊 子どもと本』1981年4月号(19-21頁)子ども文庫の会
■大塚勇三(日本語) 赤羽末吉(絵) 間宮芳生(音楽)サラ・アン・ニシエ(英語) キース・ジョーカム(英語吹込) 吉水慶(日本語吹込)『おはなしの森シリーズ 7 Sukh’s White Horse』1995年 ラボ教育センター
■「実践記録 5歳児:『スーホの白い馬』をとおして育ったもの」全国社会福祉協議会(編)『保育の友』第48号 2000年(74-75頁)全国社会福祉協議会
■平敷令治「風葬」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡辺欣雄(編)『日本民俗大辞典 下』2000年(454頁)吉川弘文館
■小長谷有紀『モンゴルの20世紀 社会主義を生きた人びとの証言』2004年 中央公論新社
■内堀基光「風葬」下中直人(編)『世界大百科事典 24』1988/2005/2007/2011年(343頁)平凡社
■「モンゴルで新興富裕層増加、ラグジュアリー市場が拡大」『AFPBB News』2011年6月9日 
■おおつかゆうぞう(作)・リー=リーシアン(絵)「スーホの白い馬」教科書『こくご 二 下 赤とんぼ』2015年(98-116頁)光村図書
■ボルシギン・ブレンサイン(編著)赤坂恒明(編集協力)『エリア・スタディーズ 135  内モンゴルを知るための60章』2015年 明石書房
■鈴木仁麗「日本人が出会った内モンゴル」加藤聖文・田畑光永・松重充浩(編著)『挑戦する満州研究 −地域・民族・時間』2015年(187-205頁)東方書店
■トキオ・ナレッジ『ずっと信じていたあの知識、実はウソでした! 使ってるとバカにされる「恥」識事典』2016年 宝島社
■「モンゴル宣教史、貴重な映像資料で解説 桜美林大学キリスト教研究所公開研究会」『CHRISTIAN TODAY』2016年2月4日
■藤井青銅『「日本の伝統」の正体』2017年 柏書房 
■ミンガド・ボラグ「『スーホの白い馬』実は… 『何かが違う』モンゴルでの調査から見えた来歴」『日本経済新聞』2017年4月6日 朝刊(36頁)日本経済新聞社
■黒川麻実「学位論文要約 東アジアの民話を巡る教育文化史研究」2018年
■「Sukh’s White Horse」教科書『Here We Go! 2 ENGLISH COURSE』2020年(42-44頁) 光村図書
■島村一平『ヒップホップ・モンゴリア 韻がつむぐ人類学』2021年 青土社
■都馬バイカル『スウェーデン宣教師が写した失われたモンゴル』2021年 桜美林大学出版会
■ミンガド・ボラグ『日本人が知らない「スーホの白い馬」の真実』2021年 扶桑社
■島村一平『憑依と抵抗 現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム』2022年 晶文社
■花田麿公「日本のモンゴル外交の夜明けとその後 −外交私記」窪田新一(編著)『モンゴルはどこへ行く』2022年(25-48頁) 論創社
■安藤礼二「【書評】シャーマニズム、連帯にして抵抗の原理 -島村一平『憑依と抵抗』評」『webゲンロン』2022年6月7日 
■島村一平「わたしが現代モンゴルを研究しようと思ったワケ【著者に聞く】」『中央公論.jp』2022年7月25日 
■「おはなしのくに:モンゴルの民話 『スーホーの白い馬』」『NHK』

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