もうすぐ100年の名駅舎「解体ーー!!」 知らせは夏、秋には“更地”の電光石火 いったい何があったのか

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近代化産業遺産にも登録されていた築97年の名駅舎が解体されました。新聞報道で明るみに出てから、わずか2か月で“更地”に。なぜ壊されなければならなかったのでしょうか。

近代化産業遺産にも登録されたモダン建築の名物駅舎だった

「琴電屋島駅解体ーー!」琴電ファンの間で衝撃的な知らせが届いたのは2026年8月上旬のこと。それから約2月後の10月、琴電屋島駅(高松市)の駅舎が解体されました。初夏の台風が、名駅舎の命運を分ける形となりました。

 高松琴平電気鉄道(ことでん)志度線にある琴電屋島駅は、観光地「屋島」の玄関口です。1929(昭和4)年に前々身会社である東讃電気軌道が、屋島に敷設した屋島登山鉄道(ケーブルカー)の開業に合わせて移転開業した駅です。昭和初期の洋風モダン建築な駅舎は2009(平成21)年2月、経済産業省が制定する近代化産業遺産続33の「社寺参詣や温泉観光・海水浴に端を発する大衆観光旅行の歩みを物語る近代化産業遺産群」に、長尾線元山駅や琴平線滝宮駅とともに登録されていました。

 また、1996(平成8)年にはロックバンドTHE YELLOW MONKEYの写真集TRUE MINDに琴電屋島駅が登場します。発売後に当時、駅舎内で営業していた売店にメンバーのサインが飾られていたことで、ファンが殺到したといい、今でもイエモンファンにとってこの駅はいまも聖地とされています。なお、売店はその後閉店され、2005(平成17)年4月1日には駅が無人化されています。

 ただ、「傾いているわけでもないし、なぜ解体してしまうのか?」「無人化しているし、ただ単に固定資産税を払いたくないだけでは?」と、筆者を含めて名駅舎解体の知らせを聞いたファンは当初、訝しげでした。

6月に襲来した台風6号がきっかけに

 解体のきっかけになったのは、6月に襲来した台風6号です。駅舎南側のホーム通路の上屋根を支える柱を捻じ曲げ、崩壊寸前だったのを近隣住民が見つけて鉄筋を補強するなどの応急処置が講じられました。

 その後、ことでんによる被害調査と合わせて建物自体の安全性も検証した結果、外壁内の柱などで白アリなどによる腐食が広範囲に広がっており、大規模な修復が必要になったそうです。

 保存を含めて検討した結果、改修に約2500万円以上の費用が掛かることや、国庫補助などの支援を受けるにあたって長期間にわたる追加の調査や手続きが必要なことが判明。緊急性を伴う修復が必要で、耐震性なども考慮すると手遅れになってしまう恐れがあったため、解体という苦渋の決断を下したと、関係者は眉をしかめます。

解体までの2か月を見届ける

 衝撃的な8月の知らせからほどなく、地元新聞で報じられたことで、駅には多数の見物人が訪れるようになります。地元に住む筆者もその一人で、幼いころ、家族で訪れた屋島観光の帰りに大雨に降られ、駅舎内のベンチでお弁当を食べた思い出がよみがえりました。

 8月20日頃には解体を知らせる張り紙がされ、まず駅舎内にあった飲み物の自販機が撤去されます。そして観光ポスターやゴミ箱、公衆電話の使用停止へと続き、営業最終日とされていた8月31日には朝から多数の訪問客スマホやカメラで駅舎の最後を記録に残していました。

 残暑厳しい9月に入り、数日は普通に駅舎として機能していましたが、時計や案内板などの備品類が徐々に取り外され、ついに、被災していたホーム側通路上屋根から解体が始まりました。12日頃には正面の門も固く閉められ、改札は仮通路からの出入りに移されてしまいます。

 正面のタイル張りになっている駅看板もはがされ、足場が組まれたのち、10月上旬には解体のための防音シートで囲まれ、10月10日ついに重機による外壁の解体に着手。約1週間をかけて更地化されました。

 作業を担当した業者さんによると、外壁は見た目以上に内部が白アリの侵食で脆くなっており、重機で押すとすぐ倒れたそうです。一方、駅舎内に柱を設けていなった分、屋根には梁が組手でしっかり組まれており、こちらは白アリなどの腐食も全くなく、解体にはあらかじめチェーンソーで梁に切り目を入れて一本一本、重機でパズルのように削いでいく方法が取られたとか。その頑丈な約100年前の建築技術に感心したと作業を振り返ります。

 代替となる駅舎の新築計画はなく、跡地には駅舎の向かいに設置していた屋島山上行きの路線バス停を移設し、送迎用の車寄せとなる予定です。2026年秋、高松から名駅舎が記憶の彼方へと消えました。