お台場が真っ暗だった頃、大人たちはシャトルバスで水辺へ消えた――バブル真っただ中に生まれた「小さなクルーズ船」36年の歴史に幕

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東京湾で活躍してきたレストラン船「レディ クリスタル」が11月に引退します。バブル期に誕生した小さなクルーズ船の歩みをひも解くと、お台場も開発途上だった“あの頃”の雰囲気が濃密に蘇ってきました。

バブルの象徴「パーティヨット」として誕生

「会社の顔であり、家族であり、歴史そのもの。36年間、『よく頑張ってくれた』という思いがある」――日本郵船グループでレストラン船「レディ クリスタル」を運航するクルーズクラブ東京の鶴身明子社長はそう話します。

 平成から令和にかけて、天王洲を拠点に東京湾でクルーズを行っていた「レディ クリスタル」が2026年11月8日をもって引退します。現在、親会社である日本郵船によって後継となるクルーズ船「AMANE」の建造が前畑造船(長崎県佐世保市)で進められており、今後は2027年5月の就航に向けてラウンジのリニューアルや桟橋の整備などさまざまな準備を行っていきます。

「引退まで1か月を切ってくると、リピーターだけでなく、かつて結婚式やイベントで利用した人が、当時を懐かしんで乗りに来る。『レディ クリスタル』に乗った時のいろいろな思い出話をする方が多く、すごい嬉しく感じている」(鶴身社長)

「レディ クリスタル」が就航したのは日本が空前の好景気に沸いていたバブル景気只中の1990年5月のこと。日本郵船による就航前の資料に書かれた「パーティヨットプロジェクト」という名称からも当時の雰囲気が窺えます。建造ヤードは「AMANE」と同じ前畑造船で、船体のデザインはイタリアのデザイナー、ヴィットリオ・ガローニ氏が手掛けました。

「1980年代の後半はプラザ合意に始まり、日本人船員の大幅な削減を行った緊急雇用対策(緊雇対)など、とにかく海運業界はとんでもない大変な時期だった」と鶴身社長は振り返ります。

 プラザ合意に伴う急激な円高によって、日本の造船・海運業界は大きなダメージを受け深刻な不況へと陥りました。日本郵船をはじめとした海運各社は生き残りのため大規模な改革を行うことになり、そうした取り組みの一つがクルーズ船事業への参入だったのです。

「何かやらなければという経営陣の考えもあっただろうし、当時の日本郵船の宮岡公夫社長の客船を復活させたいという思いが、クルーズ船プロジェクトを始めるきっかけになったと聞いている」(鶴身社長)

松・竹・梅・小梅の4隻で最も親しまれた「小梅」

 1984年から89年まで日本郵船の社長を務めた宮岡氏は、太平洋戦争の末期、駆逐艦「響」の乗組員でした。当時、宮岡氏は、日本海軍の病院船となっていたシアトル航路の貨客船「氷川丸」と出会い、それに憧れて日本郵船へ入社したという経緯があります。客船事業の復活は悲願と言えるもので、実現に向けて尽力してきました。

 ただ、「外航クルーズ船はすごく敷居が高い。そのためファーストエントリーとして体験してもらうために造られたのが『レディ クリスタル』だ。デザインも今は『飛鳥II』として運航している『クリスタル・ハーモニー』を意識してガローニ氏を起用した」と鶴身社長は説明します。

 日本郵船はクルーズ船プロジェクトを立ち上げるにあたって、大きい順から「松」「竹」「梅」「小梅」と付けていました。松が北米のマーケットに投入する大型客船「クリスタル・ハーモニー(飛鳥II)」、竹が初代「飛鳥」、梅が探検船「フロンティア・スピリット」、そして小梅が「レディ クリスタル」で、当時のパンフレットでは4隻一緒にクルーズ船隊として紹介されています。

 鶴身社長は「『レディ クリスタル』は日本郵船グループにとっても身近な船。それこそ結婚式や外国のVIPの会食、役員の懇親会、大きな部署の集まりや新人の歓迎会など、かなり使っていた。別れを惜しんで乗船する社員もけっこういる」と話します。

失われた「専用クラブハウス」もさらにゴージャス!

 また、「レディ クリスタル」の運航を行うクルーズクラブ東京は以前、「クリスタルヨットクラブ」という社名でしたが、これは「クリスタル・ハーモニー」を運航するクリスタル・クルーズを意識していたもので、同社が日本郵船グループからゲンティン香港へ譲渡されるまでロゴも同じでした。

「創業当初は品川埠頭にあったコンテナフレートステーションの土地を活用して専用のクラブハウスを建て、そこの水辺に『レディ クリスタル』が着く桟橋を置いた。りんかい線の開業前だったので、品川駅からシャトルバスを出していた」(鶴身社長)

 このクラブハウスの内装もガローニ氏がデザインしています。陸上のレストランに加えて、貴重なプライベートバースとクルーズ船という組み合わせは、テレビのロケや華やかなパーティなどを行う上でピッタリなロケーションで、この頃のクラブハウスを懐かしむ方も多いとのことです。

暗闇のウォーターフロントではしゃいだ時代から36年

 鶴身社長は「ウォーターフロントの開発の先駆けだった」と振り返った上で、「まだレインボーブリッジがなく、お台場の建物すらできていない暗闇の中で楽しんでいたということは、やはり当初はパーティヨットだったのだと思う。よく今の形になるまで発展した」と話していました。

 残念ながら90年代の雰囲気を象徴するクラブハウスは再開発に伴って取り壊されており、「レディ クリスタル」は2011年に品川埠頭から天王洲アイル前へと発着場所を変更して、現在まで営業を続けてきました。現在のように陸上の施設とレストラン船という組み合わせは「AMANE」の就航後も継続していく方針です。

「クルーズに特化するため陸上側はレストランとしての営業はせず、クルーズに乗る方、乗られた後の方が楽しむラウンジのようなエリアになる予定。日本郵船の取り組みの発信拠点として、日本郵船博物館の超ミニバージョンギャラリーを作るという企画もある」と鶴身社長は話します。

 かつてのクラブハウスも、クルーズ前のひとときを楽しむ「プレ・クルーズ」と、クルーズ後の余韻を楽しむ「アプレ・クルーズ」を演出するための空間として整備された経緯があり、原点に立ち返ったとも考えられるでしょう。

 鶴身社長は東京湾でクルーズ事業を行う意義について「船を知らない方に伝えていけること」と説明します。

「日本は島国であるにもかかわらず、残念ながら船は圧倒的にマイナーな存在。大井のコンテナターミナルに積まれたコンテナを見て『あれは何ですか?』と質問されたこともある。船は毎日同じところを通っていても日によって見え方が違う。船から見える景色や、橋の下をくぐるところとか、まだまだ知らないことを知ってもらえると嬉しい」

「レディ クリスタル」の船内には客船復活へ情熱を傾けた宮岡氏が描いた絵が展示されています。かつてクルーズという文化が無かった日本で、本格的なフランス料理を提供するレストラン船として生まれ、小さい船体でありながら日本郵船のクルーズ事業を繋いできた同船は間もなく引退します。

 次代を担う新造船「AMANE」について、「船は新しくなるが特別な時間を届けることは変わらない。船名の通り広くあまねく知られるようになってほしい」と鶴身社長は笑顔で語っていました。