41歳のFWクリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル/サウジアラビア)が、自身のSNSを通じてポルトガル代表からの引退を発表した。スポーツメディア『ジ・アスレティック』が伝えている。
C・ロナウドは5日、自身のインスタグラムを通じて「代表チームの背番号7のユニフォームを返す時が、再びやってきました」、「2003年8月に始まり、私の人生を永遠に変えてしまった旅が、終わりを迎えました」と即時の代表引退を発表した。
「代表チームの背番号7のユニフォームを返す時が、再びやってきました。私は、これが自分だけのものだと思ったことは一度もありません。しかし23年間、私はこれを身にまとい、守り、世界中のスタジアムへと運ぶという特権と責任を担ってきました」
「今こそ、これを未来へと受け継ぐ時が来ました。決して簡単な決断ではありませんでした。なぜなら、人生における決断の中には、頭だけで下せるものではなく、心で下すものもあるからです」
「2003年8月に始まり、私の人生を永遠に変えてしまった旅が、ここに終わりを迎えます。代表チームでの歩みを振り返るとき、そこに見えるのは、単なる試合やゴール、記録、あるいはトロフィーだけではありません」
「そこには『人』がいます。90分間、故郷を少しだけ近くに感じてくれた、海外で暮らすポルトガル人たちの姿があります。直接会ったことはなくても、私の人生の一部となってくれた何百万人ものポルトガル人たちの姿があります。結局のところ、サッカーは単なる『ゲーム』以上のものだからです。サッカーとは、人そのものなのです」
「代表チームでのキャリアを通じて、私は常に自分の限界を超えようと挑み続けてきました。勝ちたい、もっと上手くなりたい、歴史に名を刻みたい――常に自分自身に最高のものを求め、さらなる高みを目指し、もっと先へ行けると信じてきました。このユニフォームのために、私は持てるすべてを捧げました」
「最高の午後や夜もありました。決して忘れることのできない勝利もあれば、思い出すだけで今も心が痛むような敗北もありました」
「失敗もしましたし、苦しむこともありました。ポルトガル国民が切望していた結果を届けられなかった瞬間もありました。それでも、私は決して諦めませんでした。そして何より、ポルトガルを代表することへの誇りを、一度たりとも失うことはありませんでした」
「長年活動する中で、私はいくつかの単純な真理を学びました。ゴールはいずれ色あせ、トロフィーは博物館に収められ、記録はいずれ塗り替えられます。しかし、時が経っても決して消えることのないものがあります。それは、人々の心の中に刻まれる場所です。もし私が皆さんを幸せにできたのなら、私のゴールによって誰かを抱きしめたくなったり、悩みを忘れられたり、あるいは自分の国を誇りに思えたりしたのなら――それだけで、すべてに価値があったと言えます。ポルトガル人であるということは、そういうことでもあるのですから。私たちは、ともに苦しみを分かち合うのです。私たちは共に立ち上がる。再び、信じる」
「ポルトガルには、夢を抱く若者たちが、いつの時代も必要です。決して諦めない選手たち。誰も到達したことのない場所へ行けると信じる、新しい世代。なぜなら、次々と新たな英雄を生み出し続ける国こそ、自らを信じることを決してやめない国だからです」
2003年8月21日のカザフスタン代表戦で18歳と6カ月15日でのポルトガル代表デビューを飾って以降、ここまで積み上げてきた数字はいずれも世界記録となる234試合、146ゴール。この間に歴代最多の通算6度のワールドカップ出場、同じく通算6度のEURO出場を果たし、EURO2016、UEFAネーションズリーグ(UNL)で2度のタイトル獲得に貢献してきた。
ただ、9月27日に行われたUNLのノルウェー代表戦で18年ぶりに出番なしに終わると、翌日から全体練習を欠席。ジョルジェ・ジェズス監督との確執も噂されるなか、同30日に「時が来れば、どんな時も献身的に取り組んできた代表チームを離れることになった真実を伝えたい」として、代表を途中離脱。
その後、チームメイト、ポルトガル国民に対する公式な謝罪を行ったC・ロナウドは、ポルトガルサッカー連盟(FPF)からの10月1日から10月30日までの30日間の出場停止処分を消化。今月のインターナショナルマッチウィークでは予備登録メンバーにも選出され、14日と17日に行われるUNLのデンマーク戦、ウェールズ戦での代表復帰が濃厚と見られていた中での決断となった。
先日にリオネル・メッシのアルゼンチン代表でのラストマッチが行われた中、そのライバルに続きサッカー界のスーパースターが代表の舞台から離れることになった。
【投稿】CR7が自身の言葉でポルトガル代表引退を発表