B-29の「海賊版」が中国で“魔改造”! 本家より長生きした爆撃機「Tu-4」の数奇な運命

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第二次大戦で活躍した米爆撃機B-29。そのソ連製コピーが中国に渡り、独自の進化を遂げ長年運用されました。なぜ本家より長生きできたのでしょうか。

不時着機から生まれたソ連版B-29「Tu-4」

 第二次世界大戦で圧倒的な能力を発揮したアメリカのボーイングB-29「スーパーフォートレス」。この爆撃機の設計をそっくり真似た、いわば“海賊版”が旧ソ連で生産され、さらに中国で独自の改造まで施されて本家より長く使われ続けたという数奇な運命をたどった機体が存在します。

 第二次世界大戦が始まった頃、ソ連はアメリカのB-17やB-29、イギリスのアブロ・ランカスターに匹敵する戦略爆撃機を持っていませんでした。スターリンはツポレフ設計局に強力な爆撃機の設計を指示していましたが、開発は難航します。

 そんな最中の1944年、アメリカのB-29がソ連領内に不時着しました。アメリカは機体と乗員の返還を要求しましたが、スターリンは乗員のみを返還し、機体の返還は拒否。そして、不時着した4機のB-29を完全にコピーして生産するようツポレフに命じたのです。

 こうして誕生したソ連製のB-29「Tu-4」は、1947年に初飛行に成功。1949年から1952年にかけて847機もの大量生産が行われました。

 しかし1950年代に入ると、航空機の世界ではジェット化が急速に進みます。アメリカでは後退翼を持つジェット爆撃機B-47「ストラトジェット」の配備が始まり、1952年には後継機B-52「ストラトフォートレス」の原型機が初飛行していました。

 ソ連でもジェット爆撃機Tu-16「バジャー」や高速ターボプロップ爆撃機Tu-95「ベア」の量産が始まると、レシプロエンジンを搭載したTu-4は旧式化し、戦略爆撃機としての任務を解かれてしまいます。

 その旧式化したTu-4に新たな役割を与えたのが中国でした。1953年から1960年代にかけて合計12機のTu-4が中国に引き渡され、人民解放軍初の戦略爆撃機となったのです。

エンジン換装の“魔改造”で本家より長生き

 中国に渡ったTu-4は、チベット爆撃や、冬に氷結して船が航行できなくなった黄河に爆弾を投下して氷を破壊する任務などに使用されました。

 さらに1970年から1972年にかけて、エンジンを4250馬力のWJ-6ターボプロップエンジンに換装する改造が施されます。これはソ連のイーウチェンコAI-20の中国版エンジンでした。形状の異なるエンジンに換装したことで機体の重心が変わったため、それを補正するために水平尾翼の面積を増やし、尾翼端にフェンスを追加するなどの改修も行われました。

 また、1機は胴体の上にレーダーを搭載した早期警戒機「KJ-1」へと改造されました。しかし、レーダー架台に起因するとみられる振動を解決できなかったことや、電磁波の遮蔽が不十分で乗員が被ばくしてしまうなどの問題から、量産されることはありませんでした。

 人民解放軍では1988年に最後のTu-4が退役。結果として、オリジナルのB-29よりもはるかに長い期間にわたって使用されました。

 現在、Tu-4の現存機は世界でわずか3機といわれています。1機はロシアの航空博物館に、そして残る2機は北京の中国航空博物館で展示されていました。

 しかし、この博物館は移転のため2025年10月に閉館となりました。新しい博物館は2027年に吉林省長春市で再オープンが予定されています。数奇な運命をたどった希少な爆撃機が、移転先でも再びその姿を見せてくれることを願うばかりです。