日本最大の路面電車網を誇る広島電鉄は、JR広島駅2階フロアへ乗り入れる駅前大橋ルートが開業。猿猴橋町ルートは廃止となりました。廃止前の日常の姿を空から捉えました。
駅前大橋ルートと循環線が相次ぎ開業
中国地方最大の都市・広島市では、広島電鉄が日本最大の路面電車網を形成しています。軌道線6路線と鉄道線1路線からなり、日本各地から集められた中古車両が走る姿から路面電車王国と呼ばれ、近年では輸入から国産化となった超低床車が活躍します。広島電鉄は「広電」の愛称で呼ばれ、市民と観光客の足として親しまれています。
また広島市は、1945(昭和20)年8月6日に人類史上初めて原爆が投下された都市として歴史に刻まれ、広電も甚大な被害を受けましたが、3日後の9日には復旧しました。このとき被爆した651号など数両は現役であり、「被爆電車」として歴史の語り部となって運行しています。
広電は1944(昭和19)年の皆実線開業から一部のルート変更を除き、2025年まで路線が廃止されませんでしたが、このたび大幅な路線変更が実施されました。それはJR広島駅の駅ビル等再開発工事に合わせて、駅前周辺のルートを大幅に変更するというもの。皆実(みなみ)線比治山下電停から分岐する軌道を新設し、本線の稲荷町電停で接続。広島駅へ高架橋となって直進し、駅ビル2階のJR線改札口前に乗り入れる駅前大橋ルートが2025年8月3日に開業しました。
皆実線は比治山下~松川町(新設)~稲荷町の新ルートに、本線は稲荷町~広島駅間が高架の新ルートに、それぞれ変わりました。旧皆実線比治山下~的場町間は一時運休して、的場町電停の分岐を解消。比治山下~的場町~稲荷町間の整備が完了し、2026年3月28日、循環線が新たに誕生しました。
循環線は広島駅へは行かず、稲荷町~紙屋町東~皆実町六丁目~比治山下~的場町~稲荷町間のループ運転となり、開業当初は率先して旧型車を運用に入れています。
狭かった猿猴橋町電停
新ルートの開業は81年ぶりとなりますが、その陰で本線の猿猴橋町(えんこうばしちょう)電停を通るルートが廃止されました。
広島駅~猿猴橋町~的場町ルートは広電の始祖となる区間で、前身の広島電気軌道によって1912(大正元)年の広島駅前~紙屋町~櫓下間(ともに開業当初の名称)が開業した際のルートでした。
現在、新ルートはすっかりと日常の光景として定着し、すると過去の光景が霞んでくるものです。6年前の光景はどうだったか。そこで今から遡ること2020年10月30日、長年路線に変化のなかった路面電車王国の姿を、空撮用小型機から記録しました。
駅前大橋ルートは、駅前通りの中心部に軌条と高架橋が建設されました。空撮したときはまだ軌条予定箇所の中央分離帯に街路樹が存在していて、工事はこれからという状態でした。やがてこの位置には稲荷町電停が移設されることになります。
猿猴橋町電停周辺は道幅が狭く、電停の姿も判別しにくいです。電停の幅は人が一人立つほどの狭さで、道路側に柵はおろか屋根もありません。広島駅とは約200mと至近距離です。猿猴橋町電停付近には原爆投下時に被爆した井戸のポンプが複数残り、歴史の証人として広島と広電を見つめてきました。
軌道は猿猴橋町電停の先の荒神三差路交差点で右へ、荒神橋を渡ると的場町電停。皆実線への片分岐がありました。猿猴橋町ルートは、石畳の軌条が大正時代開業の歴史を感じさせましたが、ルートが変わり電車の音が消えて約1年、今はただひっそりとしています。広島市によると軌道跡は道路となり、歩道を拡張する計画です。
広電広島駅は大きなヒサシが設置され、広島駅の再開発事業も大詰めを迎えようとしています。