戦闘機の渦巻き・シマシマ塗装は「味方に撃たれない」ため!? ドイツ空軍が極めた敵との見分け方とは

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第二次大戦のドイツ空軍機に見られる様々なマーキングやカラフルな塗装。これらは単なる装飾ではなく、乱戦中や味方の地上部隊からの「誤射」を防ぐための、切実な“敵味方識別”の歴史と工夫が詰まっていました。

最初は目視識別から始まった

 日本でも高い人気を誇る、メッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190といった第二次世界大戦中のドイツ戦闘機。よく見ると、機首のプロペラ中央部(スピナー)に独特の渦巻き模様や、白黒の塗り分けなどが施されている機体があることに気づくでしょう。

 これは地上員がエンジンの回転状態を把握して巻き込み事故を防ぐという安全上の目的のほか、乱戦となった空中で「自軍の機体であること」を味方にアピールするための重要な識別標識でもありました。

 そもそも、こうした作戦機のマーキングの起源は、それより25年も昔の第一次世界大戦で使われた国籍標識にまで遡ります。

 当時、ドイツ帝国陸軍の一部隊として発足した航空隊では、主翼や胴体、尾翼には、先端の広がった黒い鉄十字を白地に描いていました。そして1918年4月には、直線で構成される「バルカンクロイツ(棒十字)」への変更が命じられました。

 なお、当初は比率が明確でなく前線で多様な形が生じたため、十字全体の縦横比や黒帯の太さ、白縁の幅が段階的に規格化されていきました。

 ちなみに、第一次大戦時のドイツ軍戦闘機といえば、「レッド・バロン」と呼ばれたリヒトホーフェンの真紅の機体のように、一部エースパイロットの派手なカラーリングが有名です。

 しかし、これは自己顕示や敵への威圧だけでなく、乱戦中の部隊・指揮官識別にも役立っていました。カウリングの白黒ストライプや、尾翼の色など部隊固有のマーキングとして目立つように工夫していたのです。

 大戦の後期には、主翼などに多色の多角形を敷き詰めたロゼンジ(多角形)迷彩布が普及しますが、シンボルや部隊カラーリングは残されました。敵から発見されにくくしつつ、味方からは明確に識別できるようにする仕組みが両立していたのです。

識別方式の制度化された第二次大戦

 1935年に再建されたドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)での敵味方識別は、軍の規定に基づいて厳格に定められました。基本となる国籍標識は主翼と胴体のバルカンクロイツ、垂直尾翼のハーケンクロイツです。そして単座戦闘機では機番の数字と色、さらに司令部直属機や部隊長機を示す二重の山形「<<」や横棒などの記号が用いられました。

 1939年9月、ドイツ軍がポーランドに軍事侵攻して、第二次世界大戦が始まります。最初は短期間で終わると予測されていましたが、1940年夏に英本土航空戦、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」でイギリスが勝利すると、戦争は長期化し、戦場は拡大の一途をたどります。こうした戦局を受けて、戦域ごとの識別塗装が設定されました。

 独ソ戦では黄色、地中海/北アフリカ戦線では白といった基本色が、機首や翼端、胴体帯などに塗装されたのです。これは迷彩とは逆で、僚機だけでなく、地上の対空砲部隊が遠距離からでも友軍機を判別するための識別標識でした。

 配色や位置は、時期、部隊、作戦によって一律ではありませんでしたが、所属陣営を明らかにする国籍標識と、所属部隊およびその役割を示す「コード」、そして前線で瞬時に敵味方を見分けるための戦域色という基本パターンが、戦争中に確立されます。

多層化する敵味方識別塗装と技術

 第二次世界大戦の後半、ドイツ本土防空戦が激化すると、作戦機の識別手段は多層化しました。戦域の広さに対して、両陣営が投入する機体数が急増したことや、防空レーダー、地上要撃管制、飛行場警戒部隊など様々な部隊が防空戦闘に加わるようになったためです。

 これを受けて、本土防空戦では、胴体の後部に所属する戦闘航空団を識別するためのカラーバンドである「本土防空識別帯(Reichsverteidigungsband)」が広まり、1945年2月20日に正式な規定となりました。

 しかし大戦末期には、極端なケースも見られるようになります。例えば第44戦闘団(JV44)を支援したFw190D飛行場防護隊があげられます。この戦闘団は、ジェット戦闘機Me262を配備して、多数のエースを集めた本土防空部隊です。そのMe262は離着陸時が弱点となるので、その間の飛行場上空を警戒するためにFw190Dが投入されたのです。

 この任務に彼らは、自軍の対空砲部隊から誤射されるのを防ぐために、機体下面を赤く塗り、太い白色ストライプを加えた、極端に派手なマーキングを施していました。

 一方、1941年からはFuG25aなど、地上レーダーの問い掛けに応答する電子的敵味方識別装置も実用化されています。

 こうして振り返ってみると、第二次世界大戦は目視標識と電子識別を併用した戦争だったと言えるでしょう。その後、電子識別が進化したことで、このような目視標識は姿を消していきます。

 逆に言うと、スピナー部分に模様を描いていたのは、過渡期ゆえの模様だったのです。