JR西日本の長距離列車「WEST EXPRESS銀河」が2026年夏、京都駅と和歌山県南部の新宮駅を結びました。過去の夜行列車をほうふつとさせるルートをたどったものの、待ち受けていたのは“異次元”の体験でした。
「京都~新宮の夜行」に強烈なノスタルジー
JR西日本の瑠璃紺色に塗った長距離列車「WEST EXPRESS(ウエストエクスプレス)銀河」(WE銀河)が2026年7~9月、京都~新宮(和歌山県新宮市)間の「紀南ルート」として運行されています。京都発新宮行きが夜行、新宮発京都行きが昼行のそれぞれ特急列車として設定されました。
京都を21時13分に出発し、翌日9時35分に新宮到着という12時間22分のダイヤを眺め、筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)はかつて乗車した夜行列車に郷愁を抱きました。1999年まで新大阪から新宮まで定期運転し、2000年に臨時運転にも幕を下ろした通称「新宮夜行」です。新大阪を22時45分に出発し、新宮へ翌日5時5分に着いていました。
新宮夜行は国鉄時代に登場し、オレンジ色と緑色のツートンカラーの「湘南色」をまとった急行形電車165系を使用。始発の新大阪で乗り込んだのは、背もたれが直立した4人がけのボックス席の一角でした。普通車自由席のため、乗車券だけで利用できました。
一方、WE銀河は同じく国鉄時代にデビューし、「新快速」などで活躍していた117系を改造したものです。予約した座席は、今はなき寝台特急「ブルートレイン」のベッドが上下2段に並んだ開放式B寝台をほうふつとさせる「クシェット」です。
このクシェットはベッドのような空間ながら、乗車券のほかに普通車指定席特急券で乗れる優れもの。京都~新宮間の合計額(通常期)は大人8670円です。
筆者は28年前の1998年に新宮夜行に完乗した記憶をたどりながら、2026年7月下旬に京都でWE銀河に乗り込みました。令和版・新宮夜行の一夜は同じ国鉄形車両ながらも、車両の性質の違いと、異なる運行方法のために、迎えた翌朝は「別世界」でした。
え、京都~新大阪に「57分」かかるって…?
WE銀河は21時13分に京都を出ると、22時10分に最初の停車駅の新大阪に止まります。途中で運転停車があるため所要時間は57分と、早ければ23分で結ぶ新快速の2倍超もかかります。
22時13分に新大阪を出たWE銀河は4分後、大阪の地下プラットホームに滑り込みました。22時19分に大阪を出ると大阪環状線、阪和線を経由し、23時42分着の和歌山まで停まりません。
和歌山では48分停車し、乗客用に特別営業した店舗でご当地グルメ・和歌山ラーメンを購入して“夜鳴きそば”として味わうことも可能。日をまたいだ0時半に出発後、就寝しやすいように主な天井照明を消して紀勢本線を進みます。
ただ、クシェットの上段を利用した筆者は既に夢の中でした。クシェットはやや硬いものの、ゆったりと横たわれるからです。
強いて難点を挙げるのならば、下段のように横たわりながら窓外の景色をのぞくことができない点でしょうか。上段の窓に接した部分には半透明のカバーがあるためで、JR西日本関係者は「駅のホームから上段の客の寝顔が見えてしまうのを避けるために取り付けた」と説明します。
こりゃ通勤列車だ! 28年前の「夜行」のダイヤ
これに対し、28年前に乗った新宮夜行が始発の新大阪を出て最初に停車した駅は、大阪環状線に入った後の西九条でした。大阪駅北側の再開発地区「うめきた」にある地下ホームが開業したのは2023年3月になってからで、新宮夜行が走っていた頃は新大阪~西九条間をノンストップでつなぐ地上の経路を通っていたためです。
新宮夜行はその後、弁天町、新今宮、天王寺の各駅に停車。勤務後に一杯飲んで大阪府南部や和歌山県へ戻る帰宅客らが次々と乗り込んで車内は満席になり、通路は立っている人であふれかえりました。その様子は“通勤電車”そのもので、夜行列車の旅情と言うよりも日常の光景に引き戻されました。
阪和線に入ると鳳(大阪府堺市)や日根野(大阪府泉佐野市)などで多くの客が降り、日をまたいだ0時2分に和歌山着。乗っていた車両に立った客は見られなくなり、夜行列車らしい雰囲気に変わりました。
しかしながら、新宮夜行は紀勢本線に入ってから大部分の駅に停車するため、降りそびれる客が出るのを防ぐために蛍光灯が煌々と光ったまま。寝られずにいると、0時半に箕島(和歌山県有田市)へ着きました。
和歌山で空席になった向かいの席に、「すみません」と言いながら男性が着座しました。筆者がお辞儀をすると、男性は「今、高校時代の恩師と飲んできたんですよ」と話しかけてきたことをよく覚えています。
駅名を手がかりに筆者が「もしかして高校野球の強豪の箕島高校ですか?」と尋ねると、男性はわが意を得たように「そうなんですよ。僕も野球部で(高校野球大会の)甲子園に出場したことがあり、今飲んできたのは尾藤(公)監督(当時は前監督、2011年死去)なんです」と教えてくれました。
高校2年生の時に出場したという男性に「甲子園でのプレーする様子がテレビの全国放送で中継されたのだからすごいことですよね」と返すと、男性は「録画した当時のビデオは今でも持っています」と輝かしい思い出を振り返りました。
男性は「今は長距離のトラックを運転しており、大変なこともあります」と身の上話をしつつ、「でも高校時代の(野球部での)練習のきつさに比べると何でも乗り越えられますね」と落ち着いた口調で語りました。
迎えた朝は「雲泥の差」
貴重な思い出を明かしてくれた男性は深夜に途中駅で降りていきました。ただ、まばゆいばかりの天井の蛍光灯、うなるような主電動機の音、直立したいすの背もたれに阻まれて睡眠を取ることは叶わず、寝ぼけ眼で新宮のホームに降り立ちました。
ほぼ徹夜状態で朝を迎えた日の28年後、WE銀河のクシェットで目が覚めて起き上がると、窓外では既に日が昇っていました。一面の大海原が視界に入り、串本(和歌山県串本町)に近づいていることを知らせる車内放送が流れました。
クシェットは通常のベッドより硬く、カーブで揺れるため3回ほど目が覚める場面がありました。しかしながら、断続的ながらも7時間半ほど快眠できたのは、まるで“修行”のように朝を迎えた新宮夜行とは雲泥の差でした。
向かったのは、4号車のフリースペース「遊星」です。一角に陣取ると、国際的な鉄道デザイン賞「ブルネル賞」の2025年の車両部門で「優秀賞」を受けたことを示す銘板が壁に誇らしげに掲げられていました。
WE銀河は串本で1時間10分停車。遊星で、予約していた朝食のマグロカツバーガーと和歌山県産ミカンを使ったジュースのセットを受け取りました。マグロフライと千切りキャベツがよく調和しています。
食後にホームへ出ると、反対方向のホームに特急「くろしお」の289系が入線しました。くろしお唯一の京都行きである12号です。
串本での停車中には、約850mにわたって大小の奇岩が並び立つ国の天然記念物「橋杭岩」を見学するためのバス(往復1000円)も運行されます。
遊星には串本からはジオパークガイドの男性が乗り込み、沿線の見所を案内してくれました。日本初の民間小型ロケット「カイロス」の射場「スペースポート紀伊」が串本町に設けられた理由は「地元が歓迎しているのが一番です。射場の下に海が広がっていることや、交通の便が良いことも要因になりました」と教えてくれました。山肌にあるスペースポート紀伊の総合指令棟が列車から見えました。
カイロスが打ち上げられる時には「爆音がすごく大きく、迫力がある」とか。2026年3月の3号機まで3回連続で打ち上げに失敗しており「成功してほしいというのが地元住民の強い願いです」と男性は強調しました。
先の和歌山県那智勝浦町では、全長13.5mと日本一短い川である2級河川「ぶつぶつ川」や、下里駅から徒歩約5分の距離にある4世紀後半につくられた前方後円墳「下里古墳」も車窓から眺めることができました。
ホントに同じ国鉄形!?
WE銀河は元が国鉄形電車だったとは、にわかに信じ難いほど充実したハードウエアを生かしながら、練り込んだ企画と関係者の努力によって旅行商品と遜色がないほどの車中泊体験に仕上がっています。
対照的な28年前の新宮夜行は、その下車後に眠気が襲い続けました。名古屋方面へ向かうために乗り込んだJR東海の普通列車はクリーム色と朱色で塗られた「国鉄色」の気動車キハ58形で運行しており、喜んだのもつかの間で、乗車中のほとんどの時間はまぶたを閉じていました。
ただ、車内で見ず知らずの元高校球児と乗り合わせ、身の上話を聞きながら過ごしたのは夜汽車にふさわしく、20代の忘れ得ない思い出の一つになったことも確かです。今であれば同じような状況であってもスマートフォンを取り出し、画面を見つめるだけで会話が成立していなかったかもしれません。
WE銀河で運行された令和版・新宮夜行は、新宮夜行とは“異次元”の快適性をもたらしてくれました。他方で新宮夜行のアナログ感のある旅情も、20世紀のノスタルジーとして人々の記憶に刻まれ続けることでしょう。