東京の都心や下町に張り巡らされた路面電車「都電」は、最盛期には41系統もありました。現在、唯一残るのは三ノ輪橋~早稲田間を結ぶ荒川線です。今回は、この荒川線の荒川車庫前付近と併用軌道の飛鳥山付近をお見せします。
荒川車庫と飛鳥山を空から
東京都電車、略して「都電」は、東京都が運営する路面電車です。最盛期の昭和30年代は41の系統があり、都心部や下町などを中心に路線網が発達していました。都電は自動車社会の到来や東京オリンピックの開催(1964年)など、東京が大変革していくとともに姿を消していき、最終的には三ノ輪橋~早稲田間の荒川線以外が廃止されました。
都電の最盛期は、普段使いの利用者が系統番号で呼ぶほど複雑な路線網でしたが、シンプルに荒川線のみとなり、現在は「東京さくらトラム」の愛称が付けられています。荒川線自体も元来一つの系統ではなく、1974(昭和49)年に27系統の一部と32系統の一部が統合した路線です。
荒川線は、下町情緒たっぷりの街並みをいきます。路面電車ではありますが専用軌道区間がほとんどで、自動車に混ざって走る併用軌道区間はわずかです。荒川線発足当時は、熊野前電停付近などが併用軌道でしたが、徐々に専用軌道へと改良工事され、飛鳥山~王子駅前間の明治通りが併用軌道区間です。
都内を走る路面電車は都電荒川線と東急世田谷線ですが、世田谷線は全線が専用軌道のため、荒川線が都内で唯一併用軌道のある路面電車といえます。では、都内の併用軌道を空から撮ったらどう見えるのか、その姿をお見せします。
筆者(吉永陽一:写真作家)は荒川線を2012(平成24)年から断続的に空撮しており、併用軌道区間は荒川線の醍醐味といえます。また、荒川車庫前電停に隣接する荒川車庫は、横移動するトラバーサーが配備されたコンパクトな構造です。まずは荒川車庫を空から見ましょう。
JR東日本の尾久車両センター北側の住宅地に、四角い敷地と2階建て相当の建屋があります。それが荒川車庫です。遠目に見たら工場かバスの車庫かと思うほどの箱型の建物のため、上空からでは意外と目立ちません。軌道は営業線の両方向から直角に進入できる構造で、敷地奥にあるトラバーサーを使って、修繕・分解・塗装など各パートに分かれたライン・洗浄線・留置線と車両を振り分けており、コンパクトながら効率的にレイアウトされています。
併用軌道は荒川車庫から西へ3つ電停進んだ先です。東北新幹線の高架橋がそびえ、JR京浜東北線王子駅が現れます。この高架橋の直下に荒川線の王子駅前電停があり、軌道は駅前の交差点で左へ直角に曲がるとともに、明治通りへ吸い込まれて併用軌道区間に入ります。
明治通りは左手にある飛鳥山の外周をなぞるように登り坂となって、左へ大きくカーブ。電車は低速で坂を登りながらゆっくりと併用軌道を走り、1kmも満たずに再び道路と別れて専用軌道へ入ります。このわずかな区間が都内唯一の併用軌道なのです。
上空からは斜め角度で見下ろすため視覚的に分かりづらいのですが、実際にこの地へ立つと、きつめの坂道だと分かります。「飛鳥大坂」と名付けられているこの勾配は66.9パーミル。1kmに66.9mも高低差があって、この数値は旧信越本線碓氷峠の66.7パーミルを僅かに超えます。速度は下るときが10km/h以下、上るときが15km/hと制限がかけられており、電車はそろりそろりと行き来しています。
明治通りは交通量が多く、ときには軌道内も自動車が走ります。電車と自動車はぶつからないのか心配になりますが、やはり事故は起きてしまいます。以前、筆者が荒川車庫の取材で車両修繕中の職員に尋ねたところ、「電車は鋼製車体なのでかすり傷だったが、車のほうはダメージがあったようだね」と苦笑いしていました。昨今の鉄道車両は、一般的に軽量なステンレスやアルミを用いますが、荒川線の場合は接触事故の可能性も含めて鋼製車体を使用しています。
近年、荒川線は車両の更新サイクルが早く、カラフルになってきました。2026年5月にはドーンデザインの水戸岡鋭治氏がデザインし、山吹色に塗り替えた8500形8501号がデビューしました。かつて都電といえば黄色に赤帯の車体で、それを想起したデザインとなっています。8501号が飛鳥大坂を行く姿は、都心部の道路をくまなく走っていた頃の都電をイメージできるかもしれません。