FWヤン・ディオマンデの才能をいち早く見抜いたレガネスのクラブ関係者が、レアル・マドリードに加入する19歳について語った。6日、スペイン紙『マルカ』が伝えている。
ディオマンデのプロデビュー戦は、2025年3月29日。図らずも、対戦相手はレアル・マドリードで舞台は『サンティアゴ・ベルナベウ』だった。後に、ライプツィヒでブンデス年間最優秀若手選手賞を受賞するほどのブレイクを果たし、コートジボワール代表としてFIFAワールドカップ2026にも出場し、そしてエル・ブランコにクラブ史上最高額(1億2500万ユーロ/約227億円)で加入する“傑物”となるが、当時は“無名のティーンエイジャー”に過ぎなかった。
ディオマンデがレガネスと契約を締結したのは2024年11月のこと。当時所属していたアメリカのアカデミー組織から、紆余曲折の末に、Bチームに迎え入れられた。その数カ月後、前述したレアル・マドリード戦に向けたトレーニングで鮮烈なインパクトを残したことで、当時指揮していたボルハ・ヒメネス監督がトップチームへの招集を決断。レアル・マドリード戦を含め、ラ・リーガで10試合に出場し2得点を記録した。
そんな1年半前を振り返ったのは、レガネスの元キャプテンであり、現在はフロント内の役職に就くマルティン・マントバーニ氏だ。ディオマンデの加入当初の印象について、「ヤンは歴史を作るためにレガネスにやって来た。彼が規格外の才能を秘めた、特別な選手だということは一目瞭然だった」と告白。半年後に移籍したライプツィヒでの活躍と、北中米W杯でのプレーは、「我々がずっと知っていた才能を示すのに、これ以上ない舞台だった。彼はその絶好のチャンスをしっかりと掴み取ったのだ」と誇らしげに口にした。
また、世界中で反響を呼んだ手記にて、レアル・マドリード戦の直後に、自身のファン第1号である最愛の妹が亡くなったことを明かしたディオマンデ。同氏は、「彼は本当に辛い時期を過ごしていたけど、それを知る者はほとんどいなかった」と苦悩する姿を振り返りつつ、「それでも、信じられないほどのパフォーマンスを発揮していた。彼には並外れたメンタリティがある」と述べている。
ディオマンデの移籍交渉で、『ブタルケ』に居を構えるクラブとライプツィヒは、移籍金2000万ユーロ(約36億円)程度に将来的な売却額の一部権利の保有で合意に達していた。かくしてレガネスは今夏、ボーナスを含めると1億2500万ユーロ以上となる移籍金の一部と、FIFAの連帯貢献金で、総額600万ユーロ(約11億円)から700万ユーロ(約13億円)を受け取れる見込みとのこと。「レガネスのようなクラブにとって、これは非常に大きな財政的後押しとなる」と前置きした上で、マントバーニ氏は「でも何より嬉しいのが、ヤンがこの機会を勝ち取るに値する選手だということだ。これは我々のスカウトおよび育成の成果に対する報酬であり、彼にはまだ計り知れない成長の余地がある」と“ウチの子”の目覚ましい成長ぶりを喜んだ。