住宅街に「ほんのちょびっと廃線跡」これは一体…? 公園の中にも“ほんのちょびっと” 実はかつての“軍事遺産”残る痕跡

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JR青梅線から徒歩15分ほどの住宅街に、使われていない線路が一部残されています。これは一体なんでしょうか。

戦中・戦後に使用された重要な「引込線」

 東京都昭島市、JR青梅線の中神駅から徒歩約15分の住宅街に廃線跡が残されている場所があります。周囲に現役の線路は見当たりませんが、この線路は一体なんのための線路だったのでしょうか。

 この線路は、かつて中神駅から立川基地へ向かう貨物専用の引込線として使用されていたものです。戦時中は「立川陸軍飛行場」に隣接する陸軍の飛行機製造部門「航空工廠」へ資材を運び、戦後はアメリカ軍に接収された「立川基地」へ航空燃料や重油を輸送する役割を担っていました。

 戦前は「工廠線(こうしょうせん)」、戦後は「立川基地引込線」や「立川飛行場引込線」、国鉄では「中神側線」と呼ばれるなど、さまざまな名称がありましたが、一般的には「中神引込線」と呼ばれているようです。

 この引込線は中神駅から敷設されていましたが、現在、線路そのものは残されていません。ただし、道路へ転用された軌道跡をたどることができます。

 中神駅北口を出ると、青梅線に並行するように道路が続いています。

 現在、青梅線は上下2線で運行されています。周辺に住む男性によると、引込線はしばらくこの道路に沿って上り線の外側を走っていたそうです。しかし、中神駅が建て替えられた頃にはすでに姿を消しており、「引込線は中神止まりだった」と記憶しているといいます。

 当時の地図によると、多摩大橋通りが青梅線をくぐる付近を過ぎたあたりで、引込線は北へカーブしていたようです。現在、その周辺は住宅地となっており、細かな生活道路が整備されているため、当時のルートを正確にたどることはできませんが、やがて「中神引込線通り」に出ることができます。

 この道路は、その名の通り中神引込線の跡地を活用して整備されたものです。現在、東側の歩道にあたる位置にレールは通っており、廃線跡に東側の歩道として整備されたことで、もともと存在していた車道や西側の歩道と合わせて幅員が比較的広くなっているようです。

 住宅街を貫く中神引込線通りを進むと、途中で直進する道と左へ大きく迂回する道に分かれます。この分岐点には、中神引込線の遺構を保存したモニュメントが設置されています。レールや枕木、転轍機(ポイント)が保存されており、柵で囲われていないため間近で見ることができます。

基地内に残されたレールも保存

 北へ分岐した2本の中神引込線通りは、いずれも立川基地跡地を囲む市道の昭島6号線へと合流します。

 中神引込線は、立川基地の昭島側へ通じていました。しかし、1977年に基地が全面返還されると役目を終え、約1.9kmに及ぶ引込線は使用されなくなり、翌1978年7月1日付で正式に廃止されました。

 立川基地跡地は返還後、さまざまな再開発が進められました。その代表例が、立川市側に整備された国営昭和記念公園です。

 一方、中神引込線が通っていた昭島市側には、かつて米軍関連施設の洗濯工場があり、その出入口は「ランドリー・ゲート」と呼ばれていました。

 現在、付近には「富士見通り」というバス停がありますが、かつては「ランドリーゲート」という名称でした。松任谷由実さんの楽曲『LAUNDRY-GATEの想い出』がこの立川基地周辺を題材になっていたことは、この辺りでは広く知られているそうです。

 現在、この一帯は国際法務総合センターやむさしの公園として整備されており、公園内には中神引込線の遺構が2か所残されています。

 1か所は、公園内西側の道を跨ぐようにレールが敷かれています。そしてもう1か所は、一見すると小さな駅のようにも見える休憩施設として残っています。

 いずれもレールは当時のものですが、ベンチやアーチ状の屋根は後年に設置されたものです。こちらも柵などで囲われることなく、間近で戦中から敷かれたレールのサビや木材の腐朽をリアルに見ることができました。

 訪れた際には、この廃線跡を眺める人が見られたほか、遊んでいる子どもたちからは「なぜこんな場所に線路があるの」と不思議に思う声も挙がっていました。

 レールは敷設当時の位置のまま保存されており、分岐点から直進したルート上に位置していたとみられます。むさしの公園の整備する際、残されていたレールは土地の歴史や記憶を後世へ伝えることを目的に「廃線跡モニュメント」として整備されたそうです。