東京メトロ千代田線の綾瀬駅には、全国的にも珍しい「0番線」が存在します。しかし、このホームは準備されていたにもかかわらず、開業から5年以上も使われない“幻のホーム”でした。その背景には、利便性とダイヤをめぐる複雑な事情がありました。
なぜか使われなかった「0番線」
東京メトロ千代田線の綾瀬駅(東京都足立区)には、全国的にも珍しい「0番線」が存在します。上りホームの亀有方に短い切り欠きがあり、綾瀬~北綾瀬間(北綾瀬支線)の3両編成の電車(区間列車)が発着します。2019年に本線から北綾瀬へ10両編成の直通運転が始まりましたが、区間列車は引き続き0番線を使用しています。
北綾瀬支線は千代田線の車庫線を旅客化したものです。綾瀬車庫の建設にあたり、最大のネックは広大な用地の取得です。地元は受け入れ条件のひとつとして、車庫付近に駅を設置して旅客列車を運行するよう要求しました。当時、車庫の周辺は田畑が広がっており、人口密度が低かったため見送られたものの、営団は「将来の居住人口の動向を見てその時点で駅を設置する」として将来に含みを持たせました。
つまり当初から区間列車の運行が想定されていたため、0番線の構造も建設時から準備されていました。『千代田線建設史』には「車庫線を将来営業線として使用することを考慮して、常磐線から進入するホーム始端側に延長76m、幅員4.5mの折返し運転用のホームを設けた」と記されています。ここまでは比較的よく知られた話です。
1970年代後半になると周辺の住宅開発が一気に進み、団地の建設が活発化したため、地元は再び駅設置を陳情します。これを受けて営団は、車庫開設から10年後の1979(昭和54)年12月に北綾瀬駅を開業し、旅客列車の運行を開始しました。
ところが、区間列車のために準備されたはずの0番線が、1985(昭和60)年3月まで使われなかったことはあまり知られていません。区間列車は準備しておいた0番線の設備をあえて使わずに、綾瀬駅の中線で折り返していたのです。
綾瀬駅は上り1番線・2番線、下り3番線・4番線と番号が振られていますが、線路は上り・中線・下りの3線で、2番線と3番線は同じ線路を指しています。丸ノ内線の区間列車が発着する中野坂上駅の2番線と同じように、中線で両側のドアを開ければ上り、下り両方から同じホームで乗り換えできます。0番線より利便性を優先したのです。
とはいえそれまで中線は、現在と同じように綾瀬駅発着列車が折り返しに使用していました。そこで1979(昭和54)年12月以降は、折り返し列車は4番線で乗客を全員ホームに降ろしてから北綾瀬方の折り返し線に入り、1番線から営業を開始する、いわゆる奥取りの取り扱いとなりました。
千代田線は開業から長らく朝ラッシュ時は約3分間隔の運転で、全ての電車が常磐線各駅停車と直通運転を行っていました。日中は6分間隔、直通列車は12分間隔で、2本に1本が綾瀬止まりでした。
ついに「0番線」の使用を開始
1980年代に入ると千代田線の混雑は急激に激化します。朝ラッシュ時間帯の増発を検討しますが、常磐線各駅停車は増発が必要なほどではなかったので、朝にも綾瀬駅折り返し列車を設定して増発することになりました。
しかし、奥取りのままでは朝ラッシュ時間帯に4番線(本線)をふさいで乗客を全員降ろすことになるため、少しでも手間取れば後続列車への影響は免れません。また奥取りの分、運用が長くなるため必要な編成数も増加してしまいます。
そこで当初の想定に戻る形で「0番線」を新設し、1985(昭和60)年3月から区間列車はそちらで折り返すことにしました。乗り換えが遠く不便になったことに、北綾瀬ユーザーは大きな不満を抱いたことでしょう。
営団は北綾瀬支線の必要性は認めましたが、新駅開業による利用者増加見込みは大きくないと考え、設備は3両分にとどめました。ところが想定を超えて利用は増加し、北綾瀬駅の1日平均乗降人員は1979年度の約8000人から、開業5年で1万5000人、10年で2万人、25年で3万人を超えました。
これを受けて東京メトロは2014(平成26)年2月、ついに北綾瀬の10両対応と本線との直通運転を決定し、2019年に運行を開始しました。効果はすさまじく、2024年度の乗降人員は4.3万人を超えています。
2026年5月時点で、北綾瀬駅の平日朝ラッシュ上り(朝6~8時)は計25本中14本、日中も毎時3本が本線に直通しています。かつての中線折り返し列車は直通列車に進化し、0番線は3両編成の発着に特化する、北綾瀬支線は長い時間をかけて変化してきたのです。