「えっ、このお値段で“スーパーカー”が!?」 80’s少年が熱狂「庶民派ミドシップ」MR2はなぜ生まれた? 実は“新型”も…?

成長局面を迎える日本の電子部品

1984年に登場したトヨタ「MR2」は、スーパーカーの必須条件ともいえる“ミドシップ”レイアウトを手の届く価格で実現した、クルマ好きにとって衝撃的な1台でした。その画期的な設計は、どのように実現されたのでしょうか。

スーパーカー少年に衝撃を与えた「初代MR2」

 1984(昭和59)年、トヨタは日本初の本格ミドシップスポーツカー「MR2」を発売しました。1970年代後半に巻き起こった「スーパーカーブーム」の興奮が冷めやらぬなか出現したこのクルマは、当時のスーパーカー少年たちにとって“福音”といえる1台でした。

 ミドシップ方式とは、エンジンをドライバーのすぐ後ろ、すなわち車体の中央にレイアウトする設計手法です。F1マシンをはじめとするレーシングカーでは、当時すでに常識となっていました。

 筆者(有野篤:乗りものポンチ絵描き)のようにスーパーカーブームの洗礼を受けた世代にとって、ミドシップのスポーツカーは特別な存在です。異論は認めるものの、ミドシップであることは「スーパーカーの絶対条件」だと考えています。

 とはいえ、我々世代がミドシップ車と言われて真っ先に思いつくのは、イタリアのフェラーリやランボルギーニ、あるいは米国製V8エンジンを載せたデ・トマソ「パンテーラ」など、非常に高価な“エキゾチック”カーでした。また英国のロータス「ヨーロッパ」は(本国では比較的)安価でしたが、繊細で趣味性が高く、これも身近なクルマとは言えませんでした。

 そんな当時のミドシップ車のなかで異彩を放っていたのが、1972年にイタリアのフィアットが発表した「X1/9」という2人乗りの小型スポーツカーです。

 このクルマが画期的だったのは、エンジン横置き・前輪駆動の大衆車をベースに開発することで、比較的安価なミドシップスポーツカーを具現化したことです。X1/9は、フィアットの量販セダン「128」のエンジンと変速機を前後にひっくり返し、座席と後輪の間へスポッと配置。量産効果を活かし、若者や庶民にも手が届くクルマに仕立てられていました。

 また、ボディは名門カロッツェリア(車体のデザインや製造を行う業者)のベルトーネの手によるスタイリッシュなもの。コンパクトでも見た目は立派なスポーツカーだったので、当時はスーパーカーの本にも小さく載っていることがありました。

 ちなみに、X1/9は後にフィアットからベルトーネへ販売が移管され、車名が「ベルトーネX1/9」へと変わりました。小学生だった筆者は当時、同級生たちと「この『/』の部分は読まなくていいのか?」と首を傾げた末、「バツイチキュウ」と呼んでいた記憶があります。

「バツイチキュウ」に世界中のメーカーが追随!

 トヨタはこのX1/9の設計手法に着目し、1983(昭和58)年の第25回東京モーターショーにミドシップ2人乗りのコンセプトカー「SV-3」を出品しました。

 そして翌1984年、SV-3は「MR2」として、ほぼそのままの姿でデビューしました。当初の新車価格は139万5000円~179万5000円(東京地区)と手ごろな設定。日本人にとって、ミドシップのスポーツカーが一気に身近な存在となった瞬間でした。

 ベースとなったのは、SV-3発表と同年に従来のFR(フロントエンジン、リア駆動)式から、FF(フロントエンジン・フロント駆動)式へと移行した「カローラ」のパワートレインであり、主力グレードには排気量1.6Lの「4A-G」型ツインカムエンジンが搭載されました。

 残念ながら筆者は初代MR2に乗ったことがないものの、直線基調のデザインは魅力的で、とても憧れていました。初代MR2は、後にスーパーチャージャー車やTバールーフ仕様も追加されましたが、個人的には初期のシンプルな外装が好みでした。特に、三角形をモチーフにデザインされたホイールはカッコよくて大好きですね。

 また当時はトヨタだけでなく、世界中のメーカーがX1/9を参考に安価なミドシップ車を開発しました。米国では初代MR2の発売と同年に、GM(ゼネラルモーターズ)がポンティアック「フィエロ」という小型ミドシップ車を発売。全米でヒットを飛ばしています。

 さらに、1990年代初頭にはバブル景気の勢いで、日本のスポーツカー市場が活性化。ミドシップ車も大きいものではホンダ「NSX」、小さいものでは軽自動車のホンダ「ビート」やマツダの「オートザムAZ-1」まで、さまざまなモデルが登場しました。

 国産ミドシップスポーツカーのパイオニアとなったMR2も、1989(平成元)年に2代目へフルモデルチェンジ。今度はパワートレインを「コロナ」や「セリカ」と共用し、排気量2Lクラスのスポーツカーへと進化しました。一方、初期モデルは「パワーがありすぎて足回りが追いついていない」とも評価され、後にサスペンションなどが急速に熟成されました。

 筆者の周りでは当時、学生の頃からのバイク仲間が出たばかりの2代目MR2を買っていました。助手席に乗せてもらったことがありますが、作りの良さに「スーパーカーじゃん!」と興奮したのをよく覚えています。

 その後、MR2はマツダの「ユーノス・ロードスター」(海外名:マツダ「MX-5ミアータ」)が世界的にヒットしたこともあり、1999(平成11)年にオープンタイプの後継モデル「MR-S」へと移行。しかし、2007(平成19)年に生産終了となっています。

幻のマシンが令和に“転生”か…?

 ちなみに幻に終わったものの、初代MR2にはラリーマシン化の計画も存在しました。

 当時のWRC(世界ラリー選手権)では、イタリアのランチア「ストラトス」が競技を席巻して以降、ミドシップのラリーマシンが急増。1980年代には、同じくランチアの「ラリー037」や「デルタS4」、フランスのプジョー「205ターボ16」など、数多くのモンスターマシンが活躍しました。

 そして、かねてよりラリー競技に力を入れていたトヨタも、MR2をベースとしたミドシップの新マシン、通称「222D」を開発。WRCの新カテゴリーとして構想された「グループS」規定の競技に投入する計画でした。

 しかし重大事故の多発などにより、このグループS既定の構想は立ち消えに。222Dの実践投入も実現しませんでした。今も残念でなりませんが、222Dは試作車が3台ほど現存しているそうなので、ぜひ一度見てみたいものです。

 また、トヨタは近年のWRCでも「GRヤリス」で活躍しているうえに、2025年12月には同社が特許庁へ、「GR MR2」という商標を出願していたことが判明しました。すでに海外では、ミドシップ車と思しきトヨタのWRCマシンがテスト走行している模様です。“MR2復活”は本当に実現するのか、今から楽しみですね。